津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

2019年9月から1年ちょっと津屋崎を不在にします & 協賛のお願い。

2019年9月から、すこし社会を置いて散歩にでかけようと思います。

 

ざっくり説明すると、

目的は、研修

一般的な見た目は、旅行

気分は、散歩

を1年間してきます。

 

詳細は以下↓

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現在は、

三粒の種という農業と教育を行っている事業を運営しており、

「いつでもそこにある当たり前をとらえ表現し続ける」というミッションの元活動しています。この活動の中で、必要な期間として今回の旅を企画しております。

 

ちょっとさかのぼってお伝えしますと。

 

僕は、大学・大学院で考古学という歴史系の学問に没頭し、

弥生時代から古墳時代の国家形成論を研究していました。

 

どのように社会が拡大し複雑になっていくのか?という分野です。

 

知っての通り弥生時代といえば、稲作・定住がはじまる時代です。

この時代では、

食べることと住むことが安定したため、人口の爆発的な増加というのが起こりました。

きっと当時の人々は「幸せ」だったろうと思います。

子どもは死なないし、一族は増えていきますしね。

 

一方で、この時代は、争いが増えていく時代でもあります。

その証拠として武器の量が爆発的に増えるのもこの時代の特徴です。

 

争いが増えた原因は、すごくわかりやすい言葉を使うと、

「自分たちの領土では身内の人口を養えなくなり、

隣の領土に手を出し始めたから」と考えられています。

 

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難しい部分は横においておいて、

僕が弥生時代の研究を通してわかったことは、

「自分たちの幸せをキープするために、隣の幸せを搾取し始めた」時代であったということでした。

 

ここが僕の活動の出発点といえます。

 

それを感じると同時に、弥生時代から2500年ほどが経った今、

ほとんど同じ構造で世界は動いていると思いました。

 

しかも、弱い方が搾取され、格差が広がっていくことを、「問題」だと感じている。2500年もかけてなぜ解決できないのか。

 

僕は、考古学者(当時)として、

この2500年の歩みとは違うことをしたいと強く思うようになりました。

 

搾取的な歴史を学ぶ一方で、人類史のほとんどが、贈与経済で回っていたということも学びました。

いわゆる私たちが未開や野蛮と言っていた社会では、「与える」ことを中心として経済が回っていました。

「私のものである」という所有観念も弱く、「今手元にあるものは与えられたものであり、みんなの共有物である」というようなマインドの元、「交換」が行われていました。これが僕の今後を方向付ける学びとなりました。

 

僕は、この「与えることだけで経済は回るという事実」を学問分野から社会に対して言及すべく大学院の道に進みました。

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 ですが、進学後まもなく本当にまもなく「このまま論文にかじりつくよりも、自分で行動したい」という思いが膨らみ、大学院を退学して(なので九大に通っていたのは3か月くらい)起業しました。

 

とはいえ、何をすればいいのか、どうすればいいのか、などは全く分からないし、誰も知らないので、2年ほど模索する期間があり、25歳の時に「三粒の種」という合同会社を設立するに至りました。これが今現在行っている農業と教育の仕事です。

(収益規模が小さいので、法人から個人事業主に戻しましたが)

 

「三粒の種」とは、「一粒は地を這う虫のため、一粒は空を飛ぶ鳥のため、残りの一粒は人のため」という農業のことわざです。

 

この言葉をよりどころにしながら、「与えること」を念頭に「自分たちのため」でもなく「人のため」でもなく、悶々と模索してきました。

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なかなか言語での説明は難しいのですが、

農業では、手の届く範囲で「あの人が作ってくれているから丁寧に食べる」・「あの人が食べてくれているから丁寧に作る」という関係を、

野菜という不可欠な食べ物の流通の中で生むために活動してきました。

 

この手元にある野菜は、あの農家さんの日々の営みの結果であり、自然の恩恵を受けて出来上がっていること、

この野菜が食べてもらえるということは、労働がお金になるということだけでなく、あの人の、あの子の体となり、人生を、未来を形作っていくものである

と、想い合えるようにデザインしてきました。

 

このような些細な部分のマインドの変化が、50年、100年かけて、物事の捉え方を変えていくのではないかと期待しています。

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教育業は、この農業で得た利益によって実施しております。

僕自身がすべき「与える」行為であるし、本来地域の大人が担うべき役割の一つと思い活動してきました。

 

「在りたい姿を描くこと」「答えは自分で創ること」を念頭に置きながら、

子どもたちがやりたいこと、やるべきだと思っていることを、彼らの力で実行できるようにサポートすることが主な教育内容です。

 

ここ3年は「学生企画実行部」という中学校の学外の部活動を立ち上げ、

さまざまな活動を行ってきました。

スタート時点で3名の中学1年生が集まりました。

得体も知れない何をするかもわからない(笑)活動に、

3名も集まったことに驚きましたが、彼らはとても多くのことを3年間で成し遂げました。

 

彼らの活動に触発され仲間が増え、

自分たちで市役所から補助金をとり、

3年間で延べ300人を超える地域の方々の交流を生み、

新しい地域清掃ゲームを発明したりしています。

 

この活動中で僕が一番使った言葉は、

「それは僕が決めることじゃないですね」でした。

既に6年間の義務教育を受けている子どもたちは、

大事なことは大人が決める、あるいは誰かによって決められていると、刷り込まれている現状が見えてきました。

 

それを打破しながら彼らの力をつぶさないことに悩んだ三年間でした。

彼らについてはまだまだ書きたいことがありますが、この辺にしておきます。

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このような活動を続けて8年目になりました。

さらに、地域からの信頼も得ることができ、様々な役割を与えていただけるようなってきました。

本当に、様々な役割を。

この年ではなかなかできない経験をさせていただいております。 

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ここから、1年ちょっと不在にするきっかけの話になります。

 

僕は、このような立場、あるいは環境になっていくなかで、

「地域社会から離れ、客観的な環境の元で深く考える時間が欲しくなりました。」

 

自分がやっている仕事自体、5年以上前に思いついたもの。それを続けることは本当に必要なことなのか。本質的なのか。

自分の意思決定は、どこまで客観的なのか、どれだけ未来を見据えられているのか。十分に子どもたちに対して責任を取れるだけの状態なのか。

役割は与えられるが、30歳が考えていること見ていることと、最終的な意思決定世代が考えていることには大きな差があり、それをどのように捉えるのか。

その他の近視眼的なものとの差異をどのように折り合いをつけていくのか。

 

正直なところ、僕の人生をかけて培ってきたものだけでは足りない気がしてきました、しかも今の環境で得られるものでは、不足しているものを補える気がしません。。。

 

何といえばいいのかなかなか言葉が見つかりませんが、

これからの役割を果たすための「学び「足し」」というのが近いような気がします。

 

社会に出ると、走りながら学ぶということが必要とされます。

それが「普通」

ですが、その学びには大きなバイアスがかかっているんですね。

それは経済であるとか、慣習であるとか、「バイアスがかかっている」と気が付かない類のものだと思うんですね。

 

この1年間の不在は、そのバイアスからも客観的な環境に身を置こうと考えております。

 

10年に一度くらいは、大人になっても手放しに学べる機会というのは必要だと考えています。この期間はその一回目。

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□この期間に得たいこと

 

この期間に得たいことは、大きく3つあります。

 

一つ目は、

地域社会という利害関係の塊のような環境から離れ、

客観的に考られる時間=独りの時間を得ること

 

二つ目は、

他国の文化に触れて自分の価値観にリセットをかけること

 

三つ目は、

自然の中にいる時間を常態として、自然的美しさを思考の中心に据えること

 

以上三つを通して客観的に深く考えることを行っていきます。

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実際に、この期間に何をやるのか、というと、

昔、逍遥学派というのがあったんですね。

これはてくてく散歩しながら哲学した学派なんですが、

僕もてくてく歩きながら考え事をしようと思っています。

 

日本にいたらいつもと環境があまり変わらないので、外に出ます。

 

主に、ネパール、トルコからギリシャ、スペイン、チリ、アルゼンチン、アメリカ(PCT、アラスカ)全部で8000kmくらい歩き続けます。

 

誰かが言ってましたが、歩き続けることは、禅に近いところがあるそうです。

これからも生きるということに責任を持てるように、必要な時間を過ごそうと思います。

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□この旅の設え

・期間:1年間

 

・行き先:(変更の可能性あり)

ネパール(2ヶ月)

 アンナプルナトレッキング 

 エベレストトレッキング

 

トルコ・ギリシャ(1ヶ月) 

 タレースの活動した土地イズミールからエーゲ海を渡って、ギリシャ

 

スペイン(2ヶ月)、

 サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路

 ピレネー山脈を超えてサンティアゴ・デ・コンポステーラまで

 

チリ(3ヶ月)、

 route of parks of patagonia

 南部から北上、プエルモントまで

 

アルゼンチン(1ヶ月)

 Aconkagua(アコンカグア)、パイネサーキット、

 

アメリカ(PCT、アラスカ)(3ヶ月)

 ジョン・ミューア・トレイル、デナリ国立公園、グレイシャーベイ

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・連絡:FB、ライン、メール等、基本的に閉鎖します。

   期間中は、Boutonというお店から連絡をとることができます。

※電波のないところを歩いていることが多いので、すぐに連絡がつくかどうかは運次第です。笑

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・アウトプットの日の設定:

指定した場所(〇〇のカフェなど)で待ち合わせ、

2-3日かけて一緒に話す時間を設けようと思っています。

定員:4名(自分含む)

 

11月  ギリシャ

2月    アルゼンチン

5月    アメリカ  

の3回、アウトプットの日を設定します。

言語は、日本語か英語。

参加者は、後日募集します。

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あとは、切実な問題として、

お金儲けをしてこなかったので、お金が若干足りません。笑

 

不躾ながら協賛金をいただくことでそれを補おうと思います。

 

ちなみに、

今回の旅は現在の計画で200万円ほど掛かりそうです。

 

帰ってきてからの資金を少し残して、

130万円程度は自己資金でまかなう予定です。

残りの70万円を協賛(スポンサー)という形で調達したいと思います。

 

昨今クラウドファンディングというのが流行っておりますが、

あの仕組みを活用すると、協賛頂いたお金の15%以上が手数料でもっていかれますので、活用いたしません。

ということで、以下に協賛額とそれに対応したお礼を考えましたので、ご検討いただけますと幸いです。

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□ 協賛のお願い詳細

協賛金 10,000円

・お礼:お好きな写真 A4印刷 1枚 簡単な額縁付き

 

 協賛金 50,000円

お礼:お好きな国のお土産 1カ国

   お好きな写真 5枚 A4印刷 簡単な額縁付き

 

協賛金 100,000円

お礼:お好きな国のお土産 3カ国分

   お好きな写真 5枚 A4印刷 簡単な額縁付き

   ゆっくりコーヒーを淹れて土産話 

 

協賛金 500,000円

お礼:旅の写真付きサマリー(旅の中で見たこと考えたことのまとめ本みたいなもの)

 

協賛金 2,400,000円コース

・お礼:帰国後、指定の役割を1年間果たします。※条件内容等、要相談

 

写真は、整理完了後お知らせし、選んでいただきます。

ちなみに、僕はこんな写真を撮ります。

 

nobukicorner.hatenablog.jp

 

www.instagram.com

 

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□協賛の流れ

nobuki.corner@gmail.com

まずはメールを頂けたらと思います。

お名前、希望の協賛額、協賛の理由を教えて下さい。

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ありがとうについて

ありがとう。

お礼。

感謝。

 

おそらく社会的なつながりの中で、

複雑性を縮減させるいくつかの装置のうちの一つだろうと思う。

 

あるいは、

愛という大きなシステムのうちの

信頼という部分的なシステムの隣当たりに存在するシステムといったところだろうか。

 

何かをしてもらったら、ありがとうございます。と言う。

そのようにふるまうし、そのように教育されてきた。

 

その感謝の仕方は、果たして間違っていないのだろうか。

 

何かをしてもらったら、その人に感謝を伝える。

それが必要なことを否定はしない。

 

しかし、この構造は、

無意識に常識となり文化となり、世界を縮めているのではないか。

 

本来の大きなつながりに蓋をしているのではないか。

 

最近そのようなことを考えている。

 

もっといえば、資本主義がうまくいかないのも、

ここに根本的な間違いがあるからではないかとさえ思えてくる。

 

少なくとも、僕が手にしている「一般的に僕が作ったといわれる」ニンジンは、

僕が作ったわけではない。

したがって、そのニンジンを僕が誰かに渡したときに、「ありがとう」を言うべきは、僕ではないのは明白なのだ。

 

課題は、距離感とアクセスのさせ方だ。

 

お餅つきのお知らせ!

今年もお餅つきのお知らせです!

 

師走にこんにちは!
三粒の種 角です。

 

さて、今年も餅つきをするので、
そのお知らせです!

イベントの告知とは少し意味合いが違いますので、
注意してお読みください!笑


このお餅つきですが、

 

浜の家というお屋敷をお借りしていて、
その大家である豊村酒造さんに、
一年のお礼を込めて行っているものです。

 

そのついでで、


家では餅つきできない!
地域でも参加できる餅つきがない!
正月用の餅くらい自分でつきたい!

という方へ、

「そしたら一緒にどうですか?」

という形でお知らせしています。

 

なので、餅つきの機会がないという方は、
遠慮なくご参加ください!

 

ーーー以下詳細ーーー
日時 12月28日(金)
   9時~12時ごろ
会場 豊村酒造(津屋崎4-14-18)
   ※町おこしセンターなごみ駐車場(津屋崎3-17-3)をご利用ください。
参加費 1000円(もち米代、結構持って帰られます)
申込 12月16日(日)
   info@san-tane.com までご連絡ください。 
参加条件:
   津屋崎野菜の宅配便をご利用の方、もしくは三粒の種スタッフの友人

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きなこ、あんこや、大根おろしなど、こちらで用意しております!

距離感的には、
旦那の実家で餅つきに参加という感じかと思います。
どんな感じかよ!と言われても、適当に言っているので、答えられません 笑

津屋崎中学校トークフォークダンス 参加のお願い!

【津屋崎中学校区のみなさまへ】

津屋崎中学校トークフォークダンス 参加のお願い!

津屋崎中学校が、
2年生を対象としたトークフォークダンスを開催します。
参加してくださいませんか?というお願いです。

トークフォークダンスとは??
ちなみにダンスはしません。笑 
中学生とお話をします。

山手線のように内円(地域の人)と外円(中学生)で座って、
1テーマにつき1分話しては、中学生(外円)が一個ズレを繰り返します。
全部で10数テーマかな??
テーマは、当日までわかりませんが、去年の記憶だと、
「最近嬉しかったことは?」というライトなものから、
「中学生の時にやっておけばよかったと思うことは?」など幅があります。

という形なので、中学二年生の人数と同数の地域の参加者(130名)を募っているところです!
同数以内と、中学生の話し相手がいない!という状況になっちゃいますので。笑

いろんな誘い文句があるかと思いますが、
押しつけがましいお誘いをしようと思います 笑

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そこにあるのは、私たちの地域の中学校です。
そこに通っているのは、私たちの地域の子どもたちです。
私たちの後輩といえる人もいると思います。

その学校にはいろんな先生がいて、いろんな評価があるのかもしれませんが、
その先生たちは、私たちの地域の子どもたちに愛情を注いでくれています。
勤務時間だけじゃなくて、放課後も、土日も、子どもたちのことを考えない日はないくらい、
愛情を注いでくれています。
いろんな差や見え方の違いはあるかもしれませんが、これは事実。

そんな先生たちが、「子どもたちにはこの機会が必要だ」と、
トークフォークダンスという機会を用意してくれました。

そして、どうやらそれは「地域の私たちにも手伝えること」のようです。

ということなので、みんなで行きましょう!

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正直、トークフォークダンスをしたところで、中学生にとってメリットがあるかといえば、
微妙だと思います。何か「いいこと」はあるかもしれませんが、それは偶発的です。
その「いいこと」の発生率を上げるために、もっと他の方法もあるでしょう。
地域の人を130人も、四苦八苦して集めて、わざわざやる必要あるん??とか思ったりもします。

でも、そんなんどうでもいいですよね 笑
それらは事実ですけど、おそらく何やっても大同小異です。

大事なのは、
地域の子どもたちに、どんな形であろうと、
「優しさをもって関われる機会があるんだったら、
そして自分にその時間があるんだったら、行っとこうかね」と思ってくれる大人がどれくらいいるか、
そして、「その関わり方を子どもたちにどれだけ見てもらえるか」なんですよね。

もしお時間許される方は、トークフォークダンスに行きましょう。
そして、「優しさ」を置きに行きましょう。
受け取ってもらえるかはわかりませんが笑
きっと見てもらえるはずです。

そんな姿をたくさん見せることができたら、
将来なんか良い世の中を生んでくれそうじゃないですか??笑

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日時:     12月13日(木)14時10分受付 14時30分~16時
会場:     津屋崎中学校 スカイルーム
【要】申込:  名前、住所を、
        私のFBメッセージか、ラインか、
        nobuki.corner@gmail.com

        までお知らせください。

※事前準備がありますので、必ず申込をお願いいたします。

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かくれんぼ

大切なことというのは、かくれんぼが上手だ。

 

同じ場所に隠れているのではなく、探している私たちの動きに合わせて、

移動しながら隠れている。

 

たまに影が見えるけれど、ちらりとだから「○○みっけ」とは叫べない。

 

裏を返せば、

大切なことというのは、常にこちらを見ているのだ。

見つけられないけれど、見えるところにはあるのだ。

 

そして、それを探そうとするかぎりにおいて、

大切なことは、私たちと遊んでくれるのだ。

 

それをやめたとき、大切なことは離れていく。

 

残念なことにそれをやめてしまうと、

大切ではないことが堂々と目の前に現れ、

考えることをやめさせる言葉をささやき、

誘惑してくるのだ。

 

そんな時は、

大切なことを探している人たちが、

「いっしょにかくれんぼしようぜ」と連れ戻すことが必要なのだ。

 

しかし、

その言葉は、誘う側からすれば「優しさ」のつもりだが、

誘われる側からしたら「否定」となる。

 

そんなとき、本当に必要なことは何なのだろうか。

僕にはまだ答えがわからない。