津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

いいカフェを見つけました。

昨日の夜から、

ジョウロで注ぐような雨が降り続いています。

 

この中途半端な雨が、僕を休みへと誘ってくれます。(畑作業をしなくていいという意味で 笑)

 

そんな今日は、本を読もうとカフェを探していました。

 

美味しい飲み物がでて、好きな体勢で本を読めて、静かで、多少独り言を言っても大丈夫で、

美味しい昼ごはんが食べられて、好きな本がたくさんある。

 

そんなカフェはなかろうかと、探しておりました。

 

見つけました。

 

美味しい紅茶に、美味しいカルボナーラ、いくら独り言を喋ってもいいし、寝そべっても大丈夫。

 

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ただ、難点があるとすれば、すべての準備と片付けを、

自分でしないといけないということくらいです。

 

結局うちの事務所は、最高に良い。

 

 

学生企画実行部との関わり方

今年の4月から始めた学生企画実行部は、

メイン3名、緩やかに関わっている子 2名

の、約5名で活動を進めております。

 

ちなみに、活動は毎日です。

土日も活動するときはします。

通常の部活と思ってもらったらイメージしやすいと思います。

 

そして、民間の部活動なので、お金を取っているのかと思われがちですが、

部費は毎月3000円で、消耗品と彼らの活動時に出る食費、交通費に消えていく程度な訳で、

つまりは、ノンプロフィットで行っています。

 

これは僕がやりたかった自分のお金と時間の使い方でもあります。

 

この部活動、

主には、地域や社会のために、

自分たちでプロジェクトを考えて、自分たちで実行する部活動です。

 

彼らの活動三か条は、

・地域をよりよく。

・自分たちの力で。

・答えを創る。

 

現状、プロジェクトは、

 

・地域の見守り効果向上(市から補助金、もちろん彼らが企画もプレゼンも行った)

・防災訓練のマルバツクイズ(依頼仕事)

・通学合宿(実施未定、補助金のみ確定)

・2泊3日サイクリング(部員の趣味の延長)

 

4つ走っています。

 

なので、彼らは結構忙しいです。笑

学校が終わって、17時〜18時30分までの時間しか活動できないので、

毎日活動しても足りないくらい。

しかも、学校の部活と異なり、何をすべきか考えるのも自分、どうするのか決めるのも自分、なので、いろんなことにかなりの時間がかかります!笑

 

そんな活動の中で、僕が心がけていることを、

書いておこうと思います。

学校の部活には馴染めないけど、何かしたい子の受け皿になれるかもしれないし、

そもそもこんな場所を求めていた!という子の目に止まるかもしれないし、

誰かの何かになるかもしれないからです。

 

現在ですが、3人〜5人の子を、一人で見ている時間が圧倒的に多いです。

 

なので、

受け入れてくれる大人、

褒めてくれる大人、

支えてくれる大人、

面白い大人、

厳しい大人、

 

というだいたい5つのキャラクターを意識しています。

そのキャラクターから僕の関わり方を書いてみようと思います。

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・受け入れてくれる大人

彼らの性格や発言、嬉しいこと嫌なこと、基本的には全て、

否定せず受け入れるということをしています。

またネガティブな発言もそれを受け入れながら、そのポジティブな側面を伝えることも行っています。

ただ、彼らの生ぬるい馴れ合いだけの依存先になる場所、人ではない(その役割は多分学校の中の保健室とかが担う)ので、彼らのいろんなことを深いところまで問い、掘り下げ、しんどいくらい考えさせるということもしています。

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・褒めてくれる大人

ささやかな一歩でも褒めるようにしています。それは彼らの中での一歩なので、どんな場合でも手放しに褒めていいものです。

ただ、「中学生なのにこれだけやってすごいね」と、外の人が褒めてくれることに関しては、感謝はしても、それで喜んではいけないと言っています。

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・支えてくれる大人

考えが出ないとき、行動に移せないとき、添え木となって、

ともに手足を動かすことも行っています。

ただ、失敗をさせないということではありません。

挨拶や礼儀を欠くとどうなるのか、まだ知らない彼らに、

実際にどうなるのか、失敗的な経験をさせたりもします。笑

支えつつ、梯子を外しつつかもしれません 笑

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・面白い大人

楽しく話を進めたり、アイデアを出すためには、楽しい場というのが大事です。

なので、馬鹿話をしたり、話を少し脱線させてみたり、ダジャレを言ってみたりしています。それなりにスキルと経験がいるんですよね、これって。疲れるし、、、

ただ、その楽しい場を作りだすことも彼らが身につけていかないといけない能力なので、最近は僕がいない間に考えさせる時間なんかもちょっとずつ増やしています。

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・厳しい大人

彼らは、何をどれくらいまでやれば良いのか、まだ知りません。

特にこの部活は社会と接点を持つ活動なので、学校のレベルで妥協していては、参加してくださる人や、税金を払ってくれている人(市からの補助金も使っているので)に示しがつきません。

なのでときには、「その企画全然楽しそうじゃないね。イメージできてないでしょ」「参加してくれる人が、これに参加してどんな気持ちになって欲しいの?それで本当に君たちの目的は達成されるの?」「何が大事か考えながらやってる?」「甘えるなよ。答えは君たちが創らないといけないんだ」

と、厳しくあることもしています。

 

信頼していて、普段は面白い人が、

何で厳しくなったり怒ったりするのか、そんな経験も飛び切り大事だと思っています。

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この5つの役割を一人でこなすのは、結構しんどいし、

僕にも向き不向きがあるので、完璧にこなせているわけではありません。

なので、必要なときは、必要な人に声をかけています。

 

そして、手伝ってもいいよ、という方は、積極的にお願いしたいので、

教えて欲しいです。

 

学生企画実行部運営委員会を作りたいし、

顧問団を作りたいなーと思っています。

 

最後の方はぼやきとなりましたが、

このような形で、部活運営しております。

 

来れ!少しの新入部員。一学年3人くらいが限界かもしれんけど。。。笑

通えるならどこの中学校でも高校でも大丈夫です。笑

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とあるやりとりと、

とある日のお野菜を取ってくれている方とのやりとり。

 

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うーさん

安納芋、甘くてとても美味しかったです(≧∇≦)

おいもボーロを作ったら、いっぱい食べました!

離乳食にも手作りおやつにも安心して食べさせられるし、

おいも以外のお野菜も味が濃くていつも感激の美味しさです。

いつもありがとうございまーす♪

 

ぼく

ふふふふふ、ありがとうございます♪

ふふふふ お芋ボーロ僕も食べたい、、、笑

 

うーさん

ふふふふふ、お芋とひじきのクッキーも砂糖なしで甘くなりました♪

ボーロ、大人も手が止まりません~笑

 

ぼく

なんと、なんと、、、 ひじきが出会いましたか、、、 天才、、、

このやりとりブログに載せたりしてもいいですか??笑

 

うーさん

はい、畑と海の出会いです♪

ブログ、もちろんOKです! 作ってもらって、届けてもらって、こういう風に美味しく頂いてます!って言えたらいいなぁと前から思っていたので(*^-^*)

 

ぼく

ありがたやーありがたやー!

農家さんに直接伝えられるいい方法を考えねばーと思っているんですよねー、、、

 

うーさん

自分のインスタグラムではちょいちょい載せてるんですけどね~

ありがとうの会に参加させてもらって、尚更思いました。

お野菜と一緒に、こうやって食べましたーって書けるアンケートみたいなのを渡して、次週の配達時に回収するとか? 集計とか大変だったら、お手伝いさせて下さい\(*^▽^*)/

 

ぼく

ありがとうございます♪

アンケートよいですねー♪ 顔とか温かみも伝わるようなアンケート方法ってないですかねー、、、笑

お手伝い、ふふふふふ、お願いするかもしれません、ふふふふふ

 

うーさん

そうですね~、文字だけじゃなくね~ ありがとうの会の時、ビデオレターみたいなの上映できたら、来られない人も参加できるし、皆で共有できますねー

顔とか温かみの伝わるアンケート方法… ひらめくといいなぁ~

 ふふふふふ、お手伝い 喜んで! ふふふふふふふ
 
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ふ、がやたらと多くて気持ちが悪いけれど、
津屋崎内のいわゆる「お客さん」(友人と思っているけれど)との嬉しいやりとりです。
 
 
温かみとか優しさを、日常的に伝えあえる方法はないだろうか。
僕は、それを地域という僕の手の届く範囲に据え置きたいし、
僕が何かを売っているとしたら、それを売っていると言いたい。
 

ボーダーがぼんやり

僕が行う活動は、必要な事をシンプルに行う、ということを大切にしています。

 

必要な事だからこそ、誰でも出来ないといけないし、

何かとの違いを狙ったひねりは、本質から逸れる/逸れやすい、と思っているからです。

 

そんな想いの中で、現在力を入れているのが、

・作る人、食べる人が、お互いに想いを馳せられる環境の中で野菜を流通させる事

→地域の野菜を地域の人に届ける仕事

 

nobukicorner.hatenablog.jp

 

・中学生に社会の中で役割を持ってもらう事

→民間運営の部活「学生企画実行部」

 

nobukicorner.hatenablog.jp

 

 

の二つです。

 

きっとどちらも古くからある当たり前です。

かつては近場の顔がわかる人が作った野菜を、食べていたし、誰が食べているかもある程度わかっていました。

それに、中学生くらいの子供が地域で仕事をして何かしらの役割を担っていたのも当たり前にありました。

 

僕は、町の中って一人の住民がいくつかの役割を持っていて、

それが少しずつ重なりながら、非効率に成り立っている方が、

楽しそうに見えて、コミュニケーションも多くて、

つまりは「豊か」だと思ってるんですね。

 

そのためには、ボーダーがぼんやりしていることが必要で、

食べる人と作る人が明確に離れていなかったり、

作る人と使う人が明確に離れていなかったり、

子供から大人への区分や、役割の有無も明確に分かれていなかったりが、

結構重要だと思ってるんですね。

 

 

だから僕は何をやっているかわからない人くらいがちょうどいいんだと思ったという話です。

 

 

自己の大きさ、ないしは小ささについて

投影された自己を立ち振る舞わせる舞台において、

その投影された自己と舞台の関係を、

どんな大きさ、ないしは小ささで、在らせるのか。

 

舞台の大きさは一定。たぶん。

認識する幅で大きくも見えるし、小さくも見えるけど、

在るものとして在る。からそもそも大きいとか小さいとかの話ではない。

 

投影された自己の大きさ、ないしは小ささは、

内的な相対的関係において、その大小を自己認識する/していない場合もある。

 

例えば、町おこしのためにイベントを催します。といった場合、そこに投影される自己は、大きい。

 

世界平和のためにゴミを拾います。といった場合、そこに投影される自己は、小さい。

 

意識して、大きくすることもあれば、小さくすることもあるけれど、

向き合ったコミュニケーションをする上で、大きさ、ないしは小ささを、

認識していくことは大事なのではなかろうかー。

 

※大小に善悪は一切関与しておりません。

子供山笠

津屋崎には、祇園山笠があります。

1714年から続く無病息災を願う神事です。櫛田神社から勧請していただくことで始まりました。

追い山は、7月19日に近い日曜日。

7月になると毎週土日は準備のため多くの地域住民が集まり、ともに手を動かします。

津屋崎の魅力があるとすれば、この山笠が形作っている部分もおおいにあるだろうと思っています。

 

そんな津屋崎祇園山笠ですが、

一時中断をしていた時期がありました。

その期間小さく子供山笠が行われていて、

これがのちの復活に貢献したというお話があります。

 

だから、つないできた世代の、子供山笠への思い入れは強いとか。。。

 

今は、子供山笠ないんですけどね。。。僕も見たことはないですし。

 

それで、そんな、子供山笠がひょんなことから動き始めたお話をしようと思います。

 

時は、遡ること1ヶ月ちょっと(9月頭)。

 

学校から一本の電話がありました。

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「お久しぶりですー、A(先生)ですー」

 

ぼく「あーどうも、お久しぶりですねー」

 

「あのー、3年生の授業で山笠作ろうということになったんですけどー」

 

ぼく「おー、いいですね、いつまでに作るんですか?来年の運動会?」

 

「いやー、11月の東雲祭なんですー」

 

ぼく「ぶっ!!まじっすか?笑」

 

「そうなんですよ?出来ますかねー?」

 

ぼく「いやー、あんまり時間ないですね。笑 とりあえず西野木材の西野さんと一緒に打ち合わせしましょう。」

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というのが9月の頭。

 

打ち合わせで先生たちのイメージを伺ったところ、

竹ではなく、木で。

台上がり(台の上に人が乗る)ができる。

飾りつけは子供達が自由にする。

 

結構、本格仕様です。笑

それをたった二ヶ月で、、、

 

津屋崎山笠保存会の許可願いと協力依頼、棒締め時の人員の確保、大きさの想定から図面作成、材木の手配にその加工、そのスケジュールで動いてくれる大工さんの確保、木以外の備品の手配等々

 

いやー、普通は、2ヶ月じゃ出来ないですよ。

みんな本業の合間にやるんですから、、、

他地域の子供山笠があるところの話だと、

本来、打ち合わせに打ち合わせを重ねて、数年かけて作るものだとか。

 

 

 

 

 

とかいいつつ、

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できちゃうんですよね。津屋崎は。

不思議です。

 

保存会のみなさんも、ほとんどすべての準備を担ってくださった西野さんも、

一度たりとも

「出来ません」「難しいですね」「無理です」

とは言いませんでした。

 

山笠三百年の歴史があるのに、この柔らかさ。

 

懐が深い。

 

山笠のこだわりから見れば、妥協したところはたくさんありました。

それを飲み込むのは、保存会のみなさんにとって大きなことだったろうと思います。

 

「それはよかことたい!」と思えば、自分たちのこだわりは必要最低限にとどめて、あとは手放し、全力で協力する心意気。

 

これって、津屋崎にある優しさの一つだと思います。

その分、ちゃんとしなかったら怒られますけどね。

怒ってくれるのもまた優しさです。

 

P.S. 津屋崎には、「出来ちゃう」という空気感があって、

それを僕はたくさん享受しています。

でも多分大事なのは、優しさを注いでくれる方がたくさんいるから、

そうなる「出来ちゃう」のであって、

それと同時に優しさの注ぎ先が、たくさんあることを感じていないといけないのだと思うのです。

足元の疑

そこから発せられる認識され得るものの認識は、

徹頭徹尾、検証不可能なそれである。

 

そして、それは発せられると同時にその源泉からかけ離れ、

干渉を受け、世界から修飾されるのだ。

 

自己は、修飾されたそれを源泉のそれとして認識し、

誤謬のなかで生きるのである。

 

「在る」としての意志は常にそこにある。だが、その「在る」の在り様を、

認識することはできない。が、自己は認識する。

 

それに気がついた時、

足元に疑は向かい、

梯子を外されるのだ。

 

落ちるでも浮くでもなく、そこに在るでもなくなるのである。