仕事柄、社会の問題解決に取り組む方によくお会いします。
それに対する想いや、実行の程度は、人それぞれですが、
けっこうたくさん、いろんな人がいます。
取り組む問題も人それぞれ。
中には、それは問題じゃないだろ、
と思うこともたくさんあります。
例えば、
町おこしのために人口を増やそうとすること、
農業分野の盛り返しのために6次産業を推進することなど、
これらがそれにあたります。
必要ないとはいいませんが、
こういった類いは、どれも、
畑に化成肥料を与えるのと同じです。
その場しのぎで、
それを続けないと何も育たない。
だいたい行政が絡むと、予算スキーム上、どうしても近視眼的な施策になりますよね。
これは行政に携わる人が悪いのではなくて、
行政という枠組みが悪いのです。
問題解決にかける時間は、
行政が絡むと、1年スパン〜3年スパン
行政が絡まなくても人がやると、人生スパンになります。
いま、いろんな社会問題がはびこっています。
その多くは、1年では解決出来ません。
ましてや3年でも足りません。
そして、それらの問題の根本を探ると、
社会構造に行き着きます。
教育の仕組み
経済の仕組み
行政の仕組み
もうガッチガチです。
これらを変化させていくためには、
ミクロな視点、マクロな視点を駆使しながら、
「偏り」も利用していかないと行けません。
そうなってくると、
こういった類いの問題解決は、人1人の人生じゃ足りません。
正確には、人1人の人生で足りるような時間で、解決出来たなら、それにはまだ見落とされた問題が残っているということです。
もっと数百年のスパンで、「変える」ではなくて、
「変わっていく」施策を行なわないといけません。
人には気づかれない程度のスピードが良いのかもしれません。
でも、誰もが、画期的で、斬新で、革新的なことを、
最速で、最大で、自分のものとして、やりたいと考えます。
「自分」を手放して、
部分としての自分を、どのように位置づけていくのか、
人として考えていかなければなりません。