津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

何事も単純な一歩から始まる

世界は、複雑です。

認識においても、存在においても。

 

ある状態が二つ以上の構成要素からなれば、それはもう複雑だし。

その状態が、一つの構成要素(そんなことはほぼないけど)であったとしても、認識上は幾つもの状態に認識されうるので、複雑な訳です。

 

複雑、複雑。

 

こんな複雑な世界が成り立っている。

不思議でなりません。

 

人間も、鳥も、犬も、魚も、草花も。

 

想像がつかないほど複雑なシステムで、成り立っています。

 

偶然出来ちゃいました。とは、到底思えないほどの、精密さです。

 

じゃあ、最初から設計・デザインされていたんでしょうか??

 

まあ、そうかもしれませんが、

 

僕が好きな解釈として、

ダーウィンの考えがあります。

 

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最初は偶然でも起こりうるほどの単純な原初の実体が(単細胞生物)生まれ、漸進的に変化を積み重ね現在の実体に進化した。その漸進的な変化の一つ一つは、偶然で起こりうるほどの単純な変化であった。

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最初は、バカみたいな単純なことから始まり、バカみたいな単純な変化を続け、

最初と最終産物を比べると、想像がつかないほど複雑で精巧なものが出来上がった。という話。要は進化論ですね。

 

まずここで言いたいのは、

 

何事も、本当に単純な一歩から始まる

 

ということ。最初っから、複雑なことなんてできないんです。バカみたいな単純な一歩から始めればいいんです。

そんなこと、誰だってできるじゃん!きっとそんなレベルが丁度いい。

 

そして、次に、言いたいことは、

ダーウィンの話を補足して、お伝えします。

「漸進的な変化」という「単純な進歩」の連続には、一つのフィルターが介在しています。

それは、自然淘汰

 

つまり、すべての単純な変化が、すべて「進歩」として、生き残ってきたわけではなく、その前提として、環境に耐えることができなかった、おびただしい数の「いわゆる」失敗があるということです。

ということで、次に言いたいことは、

 

本当の進歩は、淘汰の過程を経ている

 

よく勘違いしている人もいますが、

決して「失敗してもいいんだよ!」という意味ではありません。

 

進歩を求めた完璧と思っている本気の一歩でさえ、全てが生き残るわけではありません。失敗します。

ただ、そのおびただしい数の失敗の中で、残っていったものが、本物だと思うのです。

 

もちろん、一番大事なことは、本気の一歩を踏み続けること。

ですが、その本気の一歩がへし折られることで、より強い一歩が踏めるようになるんだと思います。

 

よーし、明日も、一歩を踏み続けるぞー

 

 

種の起原〈上〉 (岩波文庫)

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盲目の時計職人

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