津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

ありがとうの会を開催します!

農家さんと食べる人が一堂に会し、お礼を言い合う

「ありがとうの会」を開催します。

 

三粒の種は、いつもそこにある当たり前を捉え、表現し続ける企業です。

 

最初の最初、ちょっとしたいきさつで、僕のそばには農業がありました。

そして、そこには目も当てられない野蛮な価値観がはびこっていました。

僕のそばに、農業があったらから、テーマは農業ですが、きっとどこの業界も同じような野蛮な状態なのだろうと思います。

 

今そこにあり、口にするお野菜は、ただ当たり前にそこにあるわけではありません。

作った人もいれば、出来上がるまでに犠牲になった数多くの命もあります。

 

高度経済成長の中で、利便性が追及され、

「いつでも、どこでも、より安く」が、

良しとされるようになりました。

 

さらに、その価値観は、金を払う側の優位、消費者絶対主義のようなものを醸成し、

作り手、売り手に対して傲慢な人間を、あまりにもたくさん作り上げてしまいました。

 

また一方で、消費者傲慢経済に呼応する形で、あるいは呼応しなければならなかったという形で、農業全体も変化してしまいました。

同じものを、基準に合わせた(つまり消費者が好む)綺麗な形で、たくさん作る。

そのために、肥料成分の均質な化学肥料をたくさん使い、虫がつかないように農薬をたくさん使うようになりました。

消費者の利便性の向上に合わせるために、つまりいつでもどこでも安く買えるように、大量生産にシフトしたのです。

かつては、お米農家も手植えで一町〜二町(畑の面積のこと)程度で食えていたのですが、今は時代に合わせてその10倍はやっています。

 

このような変化の中で、とある農家さん自身も、

J○に対して「売ってやっていると思うようになった」とおっしゃっていました。

 

このような状態では、

まず、感情面で、

食べる人にとって、そこにあるものに感謝できないですし、作り手にとっても丁寧に作る動機というのが削がれてしまいます。

 

また、物理的に、口にするお野菜が、良くなっていくこともありません。

 

なので、

そのお野菜が、当たり前に、お金と交換できるものとしてそこにあるのではなく、

作ってもらっている、また、食べてもらっている、

与えられ、与える関係の中で、存在していることを、明確に認識できるように、

津屋崎野菜の宅配便というサービスを手段として展開しています

 

その一つの重要な機会として、

「ありがとうの会」を開催します。

 

農家さんと、食べる人が集まって、お礼を言い合う機会です。

 

僕は、このような機会が、当たり前に、つまり消化作業になることなく、

世界の一つの習慣になればいいと考えております。

 

今回は、その1回目です。

 

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