百年読書講座 vol.02 課題図書 シュベーグラー1848『西洋哲学史 上巻』
二回目の講座を実施しました。
今回の課題図書は、
シュベーグラー1848『西洋哲学史 上巻』23p〜248p
200p強と長いだけあって、3時間かかりました。笑
本講座では、物事を論理的に捉えたり、組み立てたりする力を育むということを掲げています。
なので、まず論理的に構成されている課題図書を選ぶ必要があります。
また、それとは矛盾して、論理的な部分とそうでない部分含む図書を選び、それらを区別しながら要約をしてもらう必要もあります。
これらの点で言えば、この本はかなり有力です。
論理的な構成という点では、
1、万物の根源は水だと言ったタレースから始まり、アリストテレスまで、それぞれの哲学を説明してくれている。パーツ(一つ一つの哲学)それぞれが高品質。
2、時系列で並べられているから、誰がなんと言っていて、誰が誰の何を否定あるいは止揚させようとしたのか、つながり、文脈ができている。パーツの組み立てができている。
なので、素晴らしい思考に触れながら、それらの発展の過程あるいはそれらの相互関係を捉えていくことが出来ます。
論理的でない部分という点では、
1、筆者の意見が、突然入り込んでいることがある。
2、ギリシャ哲学者たちは、ある程度の抽象度を超えると、神や善に頼るため論理の飛躍が起こっている。
なので、捨象する部分、批判できる部分が適度にあるため、まとめる力がつく。
という感じで、かなり有意義な本だったと思います。
さて、この講座では、哲学書を主に扱っています。
ですが、誰が、どの本で、なんと言っているか、そんなことを教えているわけではありません。
タレースが、水だと言ったーとか、ヘラクレイトスが、万物流転だと言ったーとか、ソクラテスが、無知の知だと言ったーとか、
それらはほぼ無価値です。
誰がどう考えたかは重要ではありません。
ましてや、誰々さんがこう言っているから、こうやって考えよう!なんてことはありません。
重要なのは、自分がどのように考えられるか、です。
考えるための手段(道具)、過程(道具の使い方)としての哲学として、
哲学書を使っております。
自分の感覚、認識、思考を、分割(分類)して、深める方法、
その方法によって得られる洞察。
そしてその洞察による本質的な行動というのを狙っております。
昔、学部生の無知は財産だけど、院生の無知は罪だ。
と言われたことがあります。
僕はこれは、大人と子供との関係でも当てはまると考えております。
いろんなことを知っていることは、学術分野の人たちの仕事だろ、
とおっしゃる方もいるかもしれません。
それは違います。
彼らの仕事は進めることです。物知りが仕事ではありません。
なので、その言説は、
自分が学習する意欲ない人間だと宣言しているに過ぎません。
私たち一般人は、無知にもほどがある。
これは世界のいろんなことを知らないとか、学校の問題が解けないとか、
そういうことではありません。それらはほぼ無価値です。
普段、自分が行っている言動や思考、それらについて無知なのです。
せめて、親になる人間は、
「自分になぜと問う習慣」を身につける必要があると思うし、その「なぜを解決する思考力」を求める必要があると思います。
なので、声を大にしていいたい。
子供の無知は財産、大人の無知は罪!
といいつつも、無知であることが悪いとは、言い切れないのが、この世の中です。
好き嫌いもありますしね!
ただ、自分は無知だから学んでいく必要があるという認識は、持つべきだと思います。