学生の役割のなさ
中学生(本当は中高生だけど)を対象として部活動を初めてつくづく思うのが、
タイトルにした、社会における学生の役割のなさ、についてです。
中学生と言えば、義務教育があとたった3年で終わる時期。
役割もなければ、役割につながっていくような「緩やかな階段」すら存在していません。
さらに、中学校に入ると部活動に入らないといけないという風習があります。
しかもスポーツばかりで、とても少ない選択肢の中から選ばないといけません。
授業中も社会から切り離され、放課後も切り離されているわけです。
たしかに結果論として、スポーツの部活で培われるものを主張することはできます。体力、忍耐力、協調性など。
でもそれって、スポーツじゃなくても培えるんですよね。
しかも、たぶんスポーツで培わないほうが、実用的なんですよね。
私たちは、経験から当たり前に感じていますが、
学校の部活動でスポーツをする正当性って、実は存在してないんですよね。
むしろ、それらは場違いで、「なんで学校でそんなことやってんの?しかもそれで先生忙しそうじゃん。」というのが普通なんです。
たまに、部活動見たくて先生になっている人もいる、と言う話を聞きますが、
おい、やめてくれ、と思ってしまいます。
※「私は、スポーツ部活動で今の自分がある!」と反論したくなる方もいらっしゃると思いますが、それはそれです。それを否定しているわけじゃありません。ただ、そういう話をしてるんじゃないということだけはご理解ください。
さらに、義務教育最後の年である中学校三年生に焦点を当ててみると、
社会に出た時のためのプレテストは一切なく、
大半が何の役にも立たない受験に重きが置かれているのです。
私たちが作ってしまった子供達の不幸の一つがこの教育だと思います。
部活動は、すべて民間に移し(スポーツの場をなくす訳じゃない)、
学校で放課後も子供達を拘束するなら、
それは社会との接点の時間にすべきだと思います。とくに中学校からは。
また、その社会との接点作りは、学校ができないこと(部分)を積極的に認め、
地域に頼ることを行うべきだと思います。
さらに、外部(地域)との連携を効率化するため、小学校から中学校までの義務教育期間中は学年教諭の変更はなしにし、先生の他校への移動も原則なしにすべきです。
※シュタイナー教育はそうらしいけど、シュタイナー信者ではありません。