ボーダーがぼんやり
僕が行う活動は、必要な事をシンプルに行う、ということを大切にしています。
必要な事だからこそ、誰でも出来ないといけないし、
何かとの違いを狙ったひねりは、本質から逸れる/逸れやすい、と思っているからです。
そんな想いの中で、現在力を入れているのが、
・作る人、食べる人が、お互いに想いを馳せられる環境の中で野菜を流通させる事
→地域の野菜を地域の人に届ける仕事
・中学生に社会の中で役割を持ってもらう事
→民間運営の部活「学生企画実行部」
の二つです。
きっとどちらも古くからある当たり前です。
かつては近場の顔がわかる人が作った野菜を、食べていたし、誰が食べているかもある程度わかっていました。
それに、中学生くらいの子供が地域で仕事をして何かしらの役割を担っていたのも当たり前にありました。
僕は、町の中って一人の住民がいくつかの役割を持っていて、
それが少しずつ重なりながら、非効率に成り立っている方が、
楽しそうに見えて、コミュニケーションも多くて、
つまりは「豊か」だと思ってるんですね。
そのためには、ボーダーがぼんやりしていることが必要で、
食べる人と作る人が明確に離れていなかったり、
作る人と使う人が明確に離れていなかったり、
子供から大人への区分や、役割の有無も明確に分かれていなかったりが、
結構重要だと思ってるんですね。
だから僕は何をやっているかわからない人くらいがちょうどいいんだと思ったという話です。