津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

感性は、関わる人で変わる。

中学生はやたらとゲームをする。

 

僕も学生の頃はしていた。

 

子供の好きなものの代名詞だし、

大人が嫌がるほど、子供たちは悪いものだと思っていない。

 

なぜゲームが好きなのか考えて見た。

 

結局は、

1、成長を手に取れる。

2、その成長が早い。

3、欲しいものが簡単に手に入る。

4、裏がある。(奥行きとか深さといってもいい)

 

からだと思う。

 

たぶん、人生の本来の楽しみが、インスタントに享受できるのだ。

 

 

だから、たぶん「楽しい」からやっていることと、

ゲームには大差はないんだと思う。

 

仕事も、町づくりも、ボランティアも。

 

バーチャルも現実の違いがあるだけで、おそらくレイヤーの違いはない。

 

そして、バーチャルが悪で、現実が善とも言い難い。

 

なぜなら、バーチャルは架空の出来事だけど、

現実は、実際に害悪を生むからだ。

 

仕事も、町づくりも、ボランティアも、

それ自体が害悪になることもあるし、

そのことによって快適に人間が生き始めたらさらに害悪を生む。

 

その中に埋没してたら、それが善に感じるけど、

引いてみると、善でも悪でもない。

 

最近は、中学生のゲームも、仕事も、町づくりも、ボランティアも同列で、

善でも悪でもない、というふうに感じる。

 

だから、結局、自分が興味を持てるものだけ、

好きな形でやっていればそれでいいのだと思う。