津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

最近の悩み

仕事柄、地域の教育関係の組織に属することが多いんですね。

 

それで、そういう組織って、

悲しいことにやりたい人が集まってないんですよね。

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お願いされたから仕方なくやっている人

その役をやったら何か他に免除されるからやっている人

当番が回ってきたからやっている人

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が大半を占めます。

知った時はショックではありましたよね。

 

で、やりたくてやっている人が、ファシリテーションをする人だったりするので、

やりたくてやっている人の意見がダイレクトに俎上に上がらなかったりします。笑

 

※誤解のないように、やりたくない人ばかりがいる中で、

その役をやってくださっていることだけで素晴らしいし、

尊敬にあたいすると思っています。それに十分「頑張っている」とも思っています。

例えば、

「小学生の時、トイレ掃除って嫌な役割だったと思うんですよね。

だから、その役割をやってくれる子は、すごい!えらい!と褒められました。そう思います。」

 

「がしかし、その役割になったからといって、トイレが汚いままだったら怒られましたよね。

さらに、この話は大人の話だから、トイレを綺麗に使ってもらう工夫まで考えないといけませんよね。」

僕の話は、前者を十分に認めた上で、後者の内容を取り扱っています。

 

 

だから(やりたくてやっている人がほとんどいないから)かわかりませんけど、

その活動を「こなす」ことが、目的化していることが大半なんですね。

 

自分たちの活動の

合時代性(時代に合っているか)であったり、

合目的性(目的に合っているか)を、

客観的に見つめようとしないし、

その視座による改善意見は、

活動への否定として、

受け止められるんですよね。

 

 

それで、

たぶん問題なのは、

そのような組織が進歩していくスピードと、

時代の変化のスピードが、全然合っていないこと。

 

もちろん任意団体で個人の意思による組織であれば、

時代の変化なんて気にしなくていいんですが、

そうではない場合(地域全体からお金をもらっているとか、税金を使っているとか)は、気にしないといけないと思うんですね。

 

これから社会で何を求められるのか、学校教育はどのように変化していくのか、

その中で自分たちが大切にしたいと思えるものはなんなのか。

考えていかないといけないと思うんですね。

 

 

さて、どうしたものか。。。