見ているものの表現について
見ているものを、そのものとして表現しようとした時に、
それに関して、「ではない」を無限に羅列することによって、
その具体性というのは増して行くが、
その表現の中に、それ自体はない。
確実に、
それがある表現というのは、
単純な一言で表されるが、
そこには、それが何と違うのかが含まれていない。
なので、
それ自体を表現しようとしたときに、細く小さくなっていく。
他人を正確にとらえようとすればするほど、
その人のその人たらしめる部分というのは、細く小さくなっていく。
ジャコメッティがやりたかったことって、
そういうことなんだと思う。
This is nobuki speaking.