ありがとうについて
ありがとう。
お礼。
感謝。
おそらく社会的なつながりの中で、
複雑性を縮減させるいくつかの装置のうちの一つだろうと思う。
あるいは、
愛という大きなシステムのうちの
信頼という部分的なシステムの隣当たりに存在するシステムといったところだろうか。
何かをしてもらったら、ありがとうございます。と言う。
そのようにふるまうし、そのように教育されてきた。
その感謝の仕方は、果たして間違っていないのだろうか。
何かをしてもらったら、その人に感謝を伝える。
それが必要なことを否定はしない。
しかし、この構造は、
無意識に常識となり文化となり、世界を縮めているのではないか。
本来の大きなつながりに蓋をしているのではないか。
最近そのようなことを考えている。
もっといえば、資本主義がうまくいかないのも、
ここに根本的な間違いがあるからではないかとさえ思えてくる。
少なくとも、僕が手にしている「一般的に僕が作ったといわれる」ニンジンは、
僕が作ったわけではない。
したがって、そのニンジンを僕が誰かに渡したときに、「ありがとう」を言うべきは、僕ではないのは明白なのだ。
課題は、距離感とアクセスのさせ方だ。