津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

一度見たら、その後は見ていない

さいころから、人の顔と名前を覚えるのがあまり得意ではない。

顔を覚えるのに全神経を注いでいて、名前を言われたときにそれに集中してないからだ。

 

その代わり、人の顔というか形状とか仕草は、すごく覚えがいい。

 

ずっと人の認識に違和感があって、

最初に見て、そのあとはおそらく認証作業しか行われていないんじゃないかと、

つまり、見たことがあるか、ないか。という作業しかやってないんじゃないかと。

 

じゃないのかなー、と思っていたら、最近ナショジオワイアードで記事がでていた。

 

その人がその人である部分って、すごく少ない。

構造主義的に、「差異」を見出していくと、

人は限りなく観念的に細くなる。

 

本質的に表現しようとすればするほど、細くなる。