どこへ向かうのか。
どこへ向かうのか、
ということを考えるうえで、
歴史を使えるかは重要。
「教養」といった方がいいのかな。
どうも歴史と言ってしまうと、義務教育課程の弊害により、
通時的な出来事まとめのように認識されてしまうので。
概ね、通時的な出来事まとめに構造主義的なフィルターをかけられていたら、
最低限の解釈はなされているのかなと思います。
昨今、水面をバシャバシャと叩く活動が多く、
それが非常に「わかりやすい」(悪い意味で)ので、
浸透してますね。
かつてのギリシャでは、
不安定な時代にソフィスト(詭弁者)がはびこり、
それぞれが好き勝手言って混乱を招きました。
この混乱は、一定の価値を持っているので、必要なことではありますが、
現在はその状況にあるということは認識しておくべきでしょう。
あと5年で、社会がどう動くのか。
戦後からしたら、最も大きな転換点になることは間違いないと思います。
このタイミングでどのように振舞うのか。
それが、今の時代を生きる大人の価値を決定づけるものとなるでしょう。
「歴史」というものを、執着ではなく、
未来の誇りのために使うことができるか。
世界に存在するということが、ノーボーダーでとらえられる精神性を、
一般的に醸成できるか。
わかりやすく言うと、年間1兆円稼ぐ人と、一円も稼がない人との間に差はないことを、「みんな」が理解できるかどうか。
ただ町を歩いていると、ビールの缶、たばこなどが道に捨てられていて、
すべてが遠く感じるのです。不可能なのだろうという諦めすら襲ってくるのです。