津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

どんな子に育ってほしいですか?

どんな子に育ってほしいですか?
と問うたら、
「優しく思いやりのある子」と答える大人がほとんどなんじゃないかと思う。
少なくとも、他人の非を責め叩き潰す子に育って欲しいと言う大人はいないのではないかと思う。
私たちは、共同で、社会という子を育てていることを忘れてはいけない。
どんな社会であってほしいですか?
と問うたら、
「優しく思いやりのある社会」と答える大人がほとんどなんじゃないだろうか。
少なくとも、他人の非を責め叩き潰す社会であって欲しいと言う大人はいないのではないかと思う。
戦争発言議員のことしかり、
地元の中学校の教員のことしかり、
駄目なこといった議員がいたら、
「このボケが、くそアホが、消えろ!」じゃなくって、
「なんでそんなこと言っちゃったんだい?そこまで言うってことは何か強い思いがあったんでしょ?どうしたらもっと良くなると思ってるの?話したい言葉ではなしてよ。君とわかりあえたら、そのあと迷惑かけた人に一緒に謝り行こう」だし、
駄目な先生がいたら、
「どういうことだ!そんな人にうちの子は預けられん!替えろ!」じゃなくって、
我が子に「先生にも得意不得意がある、不得意なところがありそうなら、それをどうやったら助けられるか考えてあげなさい。みんなにもそうやって伝えたらいいよ。助けるつもりのない子がいたら、助けられるように大人が力を貸すから、良いクラスになるようにみんなで協力しなさい」だと思う。
子どもを育てることは社会を育てることであって、
子どもは用意された社会を享受するしかない。
だからこそ大人には責任がある、と言ってしまいたくなるが、捉え方は個々人の自由。
むしろ、その自由の中で立場が選択されていくことが重要なのだと思う。