津屋崎千軒よっちゃん祭終了の地域的な役割について
よっちゃん祭は、
津屋崎で春に行われる「観光」イベントです。
二日間で延べ25000人のお客さんが訪れます。
津屋崎のある福津市では最大のイベントです。
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この記事では、
1,よっちゃん祭が実際どのような状況だったのか
2,よっちゃん祭の終了によって何を起こそうとしているのか
を書こうと思います。
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できる限りオブラートに包まず、甘やかすことなく、現実を記載します。
これで諍いが起こるかもしれませんが、それは今まで誠心誠意よっちゃん祭を行ってこなかったことの「しわ寄せ」ですので、責任を持って諍おうと思います。
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1,よっちゃん祭が実際どのような状況だったのか
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津屋崎千軒という比較的新しい呼称の地域で、22回実施されたこのイベントは、
「本質的な担い手の不在」(不足ではない)という状況でした。
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ここでいう「本質的な担い手」というのは、
「よっちゃん祭の意義を認識し、
よっちゃん祭ではないといけなくて、
創ることに責任を持っている人、
本当によっちゃん祭を作りたい人」です。
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当然ながら「始めた世代」にはその精神があったのだろうと思います。
しかし、この十年で、彼らはどんどん抜けていきました。諍いを起こしながら。
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「本当によっちゃん祭を作りたい人」が抜けていく一方で、
「始めた頃」に「楽しそう」だから関わりだした方々が、まだ「実行委員会」にはたくさんいらっしゃいました。「楽しい」から関わっている、必要な方々です。
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しかし、その問題というのが露呈しました。
実行委員会では、私が一番年下ということもあって勉強させていただこうと、色んな方々の動きを観察させて頂きましたが、
残念ながら「楽しいところしかやらない」人がほとんどでした。
おそらく本人たちは無意識だっただろうと思います。
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結果的に「創る部分に責任を持つ楽しみ方をするつもりがない人」ばかりだったとも言えます。
つまり、出来上がったものを消費するスタンスで楽しもうとする方々ということです。
その方々の「やりたい」は、「あるものを楽しみたい」であって「消費したい」なのです。
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そのような方々は実際いてもらって構わないし、いることが必然だし必要かと思います。
しかし、バランスというものがあります。
よっちゃん祭とは、あくまで地域行事、言ってしまえば神事でもなんでもない趣味の延長です。ですので、そのバランスが崩れてしまえば、実施する意味は存在しないのです。
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次に、
実行委員は、大半がいわゆる「よそ者」でした。
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「よそ者」が悪いという意味ではありません。
この22年の実施の中で、「地域の方で、よっちゃん祭をやりたい人が生まれなかった」ということを表現しています。
実際、23歳のときに帰ってきた私も、高校から外に出ていたので「よそ者」です。未だに私のことを移住者と思っている方が津屋崎千軒の中にたくさんいらっしゃいます。
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その「よそ者」たちはなぜよっちゃん祭に関わり始めたかと言うと、
よっちゃん祭に関わると効率よく地域の方と関われるぞ、というメリットがあったからです。それ以上の動機はありませんでした。
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冒頭にも書きましたが、60代後半から、70代前半の「始めた世代」が抜けていく中で、40代、50代がやるのかと思えば、誰もやらないので、
ほとんどのタスクは私たち30代に降ってきて、若手は半ば「仕方なく」「無意識に」よっちゃん祭をやっている状況だったのです。
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□なぜ、このような状況になったのか?
これは一重に「始めた世代」の責任です。申し訳ないですがそれが事実です。(ちなみに叔父たちには直接考えを伝えています。影で言っているわけじゃありません)
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「何のためにやるのか?」「津屋崎という地域にどうなってほしいのか?」を十分に考えることなく、表現せず実施してきた代償です。
その結果として、40代、50代の担い手が生まれず、ただ楽しみたいだけの集団になってしまいました。
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確かに、よっちゃん祭は「いいイベントだった」と思います。
当初は想いが詰まっていたし、たくさんのつながりを生んだという実績もあります。
ですが、完璧であったかというと、そうではありませんし、
そこに蓋をしてはいけません。
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若手はこの状況を打開しようと、少なくともこの3年は努力をしています。
「このお祭りは何のためにやるのか」、「どうなってほしいのか」を積極的に議題に上げました。
そうすると必然的に会議の時間、回数は増えていきますが、それに反比例して会議への参加者は減っていきました。できたものを楽しみたいだけだから当然っちゃ当然。
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今年は、「津屋崎自体が活き活きとするお祭りにしよう。そしてこのお祭りでのつながりが、終わったあとも続いていくようにしよう!」と掲げました。
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これは本質的な「原点回帰」です。様相ではなく、存在意義として考えました。
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「前略、津屋崎が大好きな皆さまへ」というキャッチコピーには、少しの排他性を持たせ、内向きにしたかったという想いがありました。
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その想いを伝えながら、今年のよっちゃん祭を、実質8−9名で準備しましたが、
地域は当然のことながら実行委員にも伝わりませんでした。
創っている人たち(実行委員ではなくその中で手足を動かした8ー9名)が想いを伝えるけれど、それぞれが好き勝手やっちゃうので、
よっちゃん祭の当日こう思っていました「このお祭りはなんだ?誰が誰のためにやってるんだ。」
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結局、
地域の方々が欲していない上に、実行委員も自分がやりたいところ(主に当日のやること)だけにしか意識がないイベント、それがよっちゃん祭だったのです。
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しかも、地域の方々からは「よそ者」たちがやっていると思われているので、気持ちはより一層離れていっている状況でした。
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地域のためといいつつ、地域が求めていない、やりたい人もいない、というのが現実。地域が求めていないから、頭を下げまくらないと実施できない。
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楽しみたい人(実行委員やイベントタダ乗り組)は創る側のコンセプトを意識してくれないから、創る側が「何をされますか?」とお伺いを立てる状況。
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打開しようとしたけど、できなかったというのが実際です。
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非常に不甲斐ないですが、そこまでマネジメントする義理はないですからね。
何よりも続けるための「大義名分」がないんです。
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2,よっちゃん祭の終了によって何を起こそうとしているのか
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ここからは、よっちゃん祭を、
「地域のエネルギーを大きく消費する上、忙しさと一部の充足感から現状に対する思考を停止させてしまう機会」と捉えて進めていきます。
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現在、津屋崎は、難しい状況です。
地区によっては高齢化が進んで草刈りもままならないところもありますし、
自然のためという松林の薬品散布は森の虫をも殺したり、干潟には栄養が行き渡らずカブトガニなど希少種が激減したりしています。山の食べ物が不足して害獣が里へ降りてくる状況もあります。
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移住者は増えていますが、自治会に入らない方も少なくありません。
小学校はパンクしそうなほど児童数が増えています。
移住の動機は様々かと思いますが、
統計的にはおそらく安い土地、イオンや博多・北九州へのアクセス、それなりの自然
、総合的に「便利」「都合がいい」からこの土地を選んだ方が多いでしょう。「消費的意識」は強いんじゃないかと思っています。
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また、郷づくりという地域自治の中核組織も、存在意義の認知度は低く、
「自治会長を束ねたり、地域のことを考えている組織なんですよー」とざっくり説明すると「えーそうなんだ、ただイベントするボランティアの人達なのかと思ってたー」とか言われます。
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悪い意味で「地域が困らなくていいように行政職員OB」を積極的に配置したことによって知らないうちに誰かがやってくれる浮いた組織になっていますが、「子どもたちにとって津屋崎を故郷にできるか?」という点で、郷づくりの担う部分は大きいと言えます。
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ここまで書けばわかると思いますが、よっちゃん祭は、地域のエネルギーを大きく消費します。ですので、この現状で、地域で動ける人たちが「客を寄せるだけのよっちゃん祭をやっている場合ではない!」のです。
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よっちゃん祭があると「なんかやっている気になる」し、「津屋崎にはよっちゃん祭がある」と思ってしまって、現状を見つめる機会が失われるのです。
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今必要なことは、
この時代にたまたま集っている人たちが、一緒に楽しく作り上げる機会を作って、
みんなで困って、みんなで笑って、繋がっておくことなのだと思います。
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これはよっちゃん祭を通して「学んだこと」でもあります。
「始めた世代」のまとまりを見ると、やはり苦楽をともにし創り上げた共通の経験というのは、大きな意味を持つように感じました。正直なところ憧れすら感じます。
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前の前の福津市消防団第一分団の分団長 嶋村さんが退団式でいいました。
「昔と違って今は色んな人がいます。それぞれが違いを理解しながら、楽しくやってください。そしたら、自然と津屋崎の生命と財産を守ることはできると思います」って。
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まさにこれだと思います。
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私たちは、よっちゃん祭を意味ある形で終了させることで、
いい意味で「不足」と「余力」を作りました。
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急な「不足」は注目も集めます。
今までよっちゃん祭の存在を注視したことがない人も、地域的な不足を意識できることでしょう。
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その上で、どのように「充足」させるのか、みんなで考えることができます。
この「余力」を何に使うべきか、みんなで考えることができるでしょう。
そのような作業をしたい人がいれば、という前提はつきまといますが。
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何が正解か誰にもわかりませんが、今の津屋崎地域にとって、
少なくとも駐車場が足りないほど他所の人が来るイベントは必要ありません。
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学校の負担を軽減するための日常的な何かかもしれないし、
新しく来た人も気軽に集える新しい行事かもしれないし、
昔やっていた全町運動会みたいなものかもしれません。
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消防団では、違った人たちが、「津屋崎の生命と財産」のためにつながることができます。
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地域も同じで、違った人たちが、集って、話して、「なにか」(消防では生命と財産)に向かって一緒につくることで、繋がっていけるのだと思います。
そして、昔ほどシンプルではないし、同じ30歳でも通っていた小学校中学校が違うことも普通なので、より一層ここには時間を使わないといけないと思います。
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私たち(少なくとも私)は、
今日の明日ではなく、今年の来年でもなく、
長い目で見ながら、そのようなことを起こしていきたいと考えています。