津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

今年も津屋崎祇園山笠が始まります。

津屋崎祇園山笠の季節となってきました。
山笠といえば夏ですが、準備期間中は梅雨です。
なので、全体的に見ると梅雨の神事です。
それはどうでもいいとして。
津屋崎祇園山笠には、おおよそ300年の歴史がありますが、
私たちは、ここ100年ほどの情報しか持ち合わせておりません。
歴史全体の三分の一だけです。
この100年の変遷を見ても、いろいろと変わっています。
伝統というと、大昔と同じ方法を頑固に守り続けるような印象がありますよね。
そういう部分もあれば、そうじゃない部分も山程あります。
山だけに。←一笑い
□ 昔と変わってるところ集
1,試し舁きは、7月1日(旧6月1日)から5回はやっていたが、今は2回だけ。
2,切立金といって、町内みんなでお金を出してやっていたが、今は寄付・協賛金等と、市からの補助金で行っている
3,山笠を他の流にぶつけていたが、今はそういうことやらない(大正9年には死者もでている)
4,裸参りは20時出発 1番山が来なければ、2番山が先に出発しても良い
5,追い山は、9時お宮入れ、10時お宮出し 現在は9時お宮出し
6,追い山の最後に祝い目出度を唄うが、今は唄わない
7、戦後は、本山笠と、子ども山笠の区分があり、厳しい時は子供山笠で実施していた
8、北の山流(今は北流)など、そもそもの呼称が今と違う
9、追い山コースは、頻繁に変更されていた 今は原則変えることはありえない。
10、流れ舁きのコースは、毎年違っていた 今は原則変えることはありえない。
11,30年代は、台の統一がされてなかった
12、タイムを測っていた。おそらく飛ばしすぎていて、昭和34年には道路を壊すなと県から叱られている。
13,最後はまた恵比寿神社にお宮入れしていたらしい(波折という説もあり)
豆知識:昭和30年には、津屋崎観光ドンタク祭りを行っている。おそらくよっちゃん祭的なノリだろう。
いろいろと変わっているけれど、
この100年、変わらず同じことをやっているように思います。
「町の無病息災を願う」ただそれだけです。
宗教ではなく、
神事というツールが目指すところは、
それを使っている人が健やかであること。元気であること。です。
山笠は、
関わる人も活気づき、見ている人も活気づく。
そう。
山笠やって無病息災になるんですか?って言われたら、
それは間違いなくイエスです。
あえて、そんな細かいことは横においてもいい。
そして、あえて、それを「細かいこと」と言ってしまってもいい。
本質的にはここだと思うんです。
地域の多くの人たちが、
町の無病息災を願うことを真剣にやっている、
これって、どうですかね?
「苦」をも「楽」としながら。
もうただこれだけでオールオッケーじゃない?
そういう人たちがいるところで、育つことができる子どもたちってどうですかね?
もはや、他に何を望もうか。という話だと思います。
ということで、何がいいたいかといいますと、
「ちょ、みんなでさ、無病息災を願ってんだけど、一緒に願わない?ま、夏だから少し涼しくて動きやすい格好になるけど。」
ということです。
あんまり変なこと言うと、怒られるのでこのへんで!