百年読書講座 vol.02 課題図書 シュベーグラー1848『西洋哲学史 上巻』補足 ヘーゲル論理学の有論(存在論)について
2月28日(日)に開催予定の百年読書講座は、
さくっといろんな種類の思考に触れられるので、
二冊目にこれを選びました。
範囲は、
基礎的部分です。
今回は、
受講生向けに、文中に登場する論理学用語を簡単に説明します。
シュベーグラーは、
西洋哲学史の進展を、ヘーゲルの論理学で捉えたり、説明したりする部分が、
多く見られます。
ここをある程度理解しておかないと、
構造的に理解できないので、補足します。
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登場する論理学用語は、ヘーゲル論理学の有論といわれるもの。
有ー無ー成、定有、向自有が主に登場します。
もし受講生がまじめなら、
「有」が、「存在」と表現される本もあるので、
それで戸惑ったはずです。笑
では、
有ー無ー成
から。
有:ただあるということ。存在。まだそれを規定する意味もなにもない状態。
無:ただないということ。有と無は同一とされる。
有には何の規定性もないから、有っても無いのと同じ。
また無は、どうように有るとも言える。
成:有と無を統一。有と無は、成を前提として、それを分解したもの。
結果的に、有、無、成は同じことを指すとも言えるが、
それはその説明だけでは誤りです。
つまり、有は成では無いし、無は成では無い。
「有は無、無もまた有」=成なのです。
ヘラクレイトスが、「流転」の概念をあげていますが、
これは成の典型的な説明です。物事はつねに移り変わるということです。
定有:規定された有。定在。「〜であって、〜でない」ということ。
有は、なにものでもありませんでしたが、定有は、なにものかがわかっていると言う状態です。
また、あらゆる規定は、否定である、ということを言っています。
向自有:それだけであるということ。向自在。何かによって規定されるのではなく、それだけでそれであるということ。例として、自我が挙げられる。
「我思うゆえに我あり」という文句を思い浮かべると理解しやすい。
とりあえず、これだけ説明しておきます。
ちなみに、ヘーゲルの論理学は面白いですが、
用語としてあまり使われている訳ではありません。
「弁証法」なんかは生きてますが、
有論は、あまり見かけません、、、
おそらく有ー無ー成に少し問題があるとされているからだと思いますが、
講座はそういうことを教えるところでは無いので、省きます。
ただ、認識上の諸段階を、こうやって分解していったあたりは天才的だし、
見えるものを観念的に分解して個別に検討するような見方は、
この課題図書を読んで得られることよりも、
大事な視点のように思います。