津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

3年が経ちました。

三粒の種が動き始めて3年が経ちました。

 

早いものです。

 

たくさんのご迷惑をおかけしながら、

たくさんの愛情をいただき、

歩んできました。

 

振り返って、

僕たちは何をしてきたんだろう。

何を成したんだろう。

 

なんて考えてしまいます。

 

でも、まだたった3年。

 

「何かを成せているのかもしれない」と思ってしまうほどに、

まだまだ未熟です。

 

この三年間、

お叱りを受けることもたくさんあったし、

喜んでいただけることもたくさんあったし、

お野菜を取ってくださっている方をお叱りすることもままありました。笑

 

そんな中で、今思うのは、大切に出来なかったことへの後悔の念です。

大切に出来なかったことを、

どれが一つと数えられる訳ではないけれど、一つ一つに謝っていきたい。

そんな風に思います。

 

だからこそなのかもしれません。

 

僕たちの想いに共感して、今もお付き合いしてくださってる方への、

感謝の気持ちが、言葉になりません。

本当にありがとうございます。

 

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3年間の変化に関する、正直な話をします。

 

僕は社会を、人を、下に見ていました。

社会という枠組みの中でしか物事を考えず、

人との関係でしか物事を考えず、

もっと多様で多次元な物事の広がりに目を向けられない社会を、人を、

下に見ていました。

 

きっと言動の節々に、

あるいは全てにそれが出ていたのではないかと思います。

 

申し訳なかった。

 

でも、3年の中で、本当に少しずつ少しづつ変わっていったように思います。

もしかしたら変わったのではなくて、捉え方が変わっただけなのかもしれません。

 

自分が大切に思っていることと、人が大切に思っていることは、

どうしてこんなに違うんだ。

自分が必要ないと思っていることと、人が必要ないって思っていることは、

どうしてこんなに違うんだ。

 

違うんだ、違うんだ、違うんだ。

ずっとそれに憤っていました。

 

それにちゃんと向き合えたのが、一年ちょっと前くらいから。

 

日々考え、禅の勉強をしてみたり、アッシジまで行ってみたりしました。

 

別にどこかに、「これだー」って思えるものがあった訳ではないのですが、

いつしか「違うんじゃない、同じなんだ」と思うようになってきました。

 

みんな何かを大切にしていて、一生懸命で。

 

きっと大きく変わり始めたのは、今年の4月。

ある不登校の男の子との出会いがきっかけだったと思います。

 

彼の「弱さと恐怖と正しさ」と、僕の「我と正しさ」が、

触れ合った時に、彼のそれを受け入れなければ、

彼の人生を奪ってしまう、もしくは崩してしまう、あるいは大切にできない、

という感覚に襲われました。

本当にそれからです。捉え方が変わり始めたのは。

 

そして、その感覚を対象としてもっと広く持つようになったのは、

ここ数週間の不思議な出来事のおかげです。

 

その違い、あるいはあらゆる違いは、

本当は違わなくて、

深いところで受け入れることができるんだ、と今は思います。

 

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「三粒の種」

 

一粒は、空を飛ぶ鳥のため

一粒は、地を這う虫のため

残りの一粒は、人のため

 

僕は最初この言葉に「自然の中に間借りする人が広い視野を持って、与えながら生きていく必要がある」といった意味を、感じていたし、そんな意味で使っていました。

 

でも、

この言葉はきっと「いろんな存在を受け入れて、愛する」言葉なのだと思うようになりました。

 

この言葉上の違いも、結局は同じことをいってるんだと思うんですけどね。笑

 

これからもこの言葉を大切にしながら、

付き合ってくださるみなさんを、大切にしながら、後悔しながら、

次に出会うヒト・モノ・コトを、より一層大切にできるように、

精進していこうと思います。

 

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

3年が過ぎ、4年目に入った、三粒の種からのご挨拶でした。