子供達の主体性について
あくまで「させる側」の教育的立場から見て(なのであまり好きではない「させる」等の表現になるんですが)、
以下があると思っていて、
① 答えを教える=ティーチング
② 答えに気付かせる=コーチング
③ 答えを創らせる=ファシリテーション
④ 答えを求めさせる=手放す relinquishに近い
⑤ 答えに意志を持たせる=邪魔をする(揺さぶる、揺るがす)
①〜③は、子供達の本質的な主体性を削ぎます。
残念ながら皆が期待するファシリテーションも、
結局大人がすると主体性を削ぎます。
正確に言うと、ファシリテーションを、
「①も②もやっている人が行うこと」
「毎日同じ人が行うこと」には、
信頼と紙一重の依存を生みやすく、
それが思考停止を起こさせたり、
その教育者の機嫌を伺った思考に陥らせたり
しやすいという弊害があるということです。
④、⑤は、本質的な主体性につながる可能性を持っています。
が、私たちにできることは非常に少ないです。
本質的な主体性とは、僕たち教育的立場の人間の意図によらない、
彼らのやりたさや、在りたさによるというところの、主体性。
その主体性の動機として、
「やりたい!」(ほぼ好きなこと)という場合と、
「じゃあやります。から、やるんだ!へシフト」(全体(チームなど)のなかでやらないといけないことを、半ば仕方なく初めて、そこに責任感が生まれ、全体と不可分な役割を感じはじめること)する場合とがあります。
※うちの部活では、後者を「やるんだ!シフト」と呼んでいます。笑 やります+責任感=やるんだ!
非常に難しいですが、間違いなく言えることは、
大人がいくら良い問いを投げても、
いくら良いファシリテーションをしても、
子供達が問いを作ることに勝ることはないし、
子供達が自らファシリテーションをすることに勝ることはないです。
なので、
①は極力やりたくない、
②は子供達に求められればやる、
③も求められた時だけやりながら存在を消しつつ、
というくらいでやりながら、
「どれくらい手放せるか」が、
結局は重要だと感じております。
我の強い僕には、日々修行のようです。笑