津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

これは時代であって、私がおっさんになった証拠なのか?

仕事柄、というか、活動柄というか、

中学生と関わることが多い。

 

なので、ラインやFB、インスタグラムで、彼らの自己表現を、

目にする機会も多い。

 

それを見ていて思う。

 

自己表現に、なぜこうも自己がないのか??と。

 

私が中学生の頃には、ライン等の表現手段がなかったので、

自己との比較はできないのだが、中学生という精神レベルは、

このような自己表現のレベルなのか。

目にするレベルよりも本来は高い気がするのだが。

 

プロフ写真は、何かしらのアイドル、流行りのアプリを使った加工写真、誰かが作った面白い(と思っている)画像。

言語表現は、先輩や後輩、同級生を意識した「友情の確認作業」的表現が多い。

 

私たちの時代とは異なり、

自由な自己表現をできる手段は圧倒的に多いはずだが、

容易に類型化できるほどにバリエーションがない。

 

斬新で他にないものが、健全な自己表現とは思わないが、

無意識に他に思考が依存していることの現れだとしたら、

まずいのではないか。

 

とはいえ、ただそういう時代なのか。とも思う。

 

若者の何でもかんでもを問題にしたがる、おっさんの特技が発動しているのかもしれない。