津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

今年も津屋崎祇園山笠が終わりました。

 

nobukicorner.hatenablog.jp

 

今年も終わりました。

毎年同じことをやっているけれど、

毎年必ずうまく行きません。

必ずみんなで考えないと行けない問題が起こります。

本当に素晴らしい仕組みを考えてくれたと思います。

天才的です。

すごく重たいし、距離も長い、だからこそ全員で力を合わせないと進まない。

力を合わせるだけでは、綺麗にまわせないから、たくさん話し合わないといけない。

だから、みんな仲良くなるんです。山笠のあとも関係が続いていくんです。

でも、たくさん話して、綺麗にまわせても、

夏の暑い時期に、わざわざ半裸になって、重いもの担いで走り回って、何やってんの?ってなるから、それだけじゃ人はついてこないし続かない。

だから、山笠には、想いがあり願いがあるんです。

住んでいる地域の無病息災、悪疫退散を心から願うこと。

地域の無病息災、悪疫退散を願って、

山笠期間のすべてを祈りの所作として想いを込める。

その祈りを神様に具体性をもって示すために、

どの流よりも美しく速く元気にしないといけない。

で、すごいのが、本当に無病息災につながっているところなんだと思います。

この時期になると、だいぶ年のいったおじいさんも杖を付いて出てきて元気に若いもんと話したり、指導したりして生き生きとします。

私達、おじさんも、年に数少ない体力的に精神的に全力を出し切る機会となります。

そして、追い山や、裸参りには、ふだんあまり見ない地域住民が、表に出てきてキャッキャキャッキャしています。

「ほんとうの意味で町が元気になる」んです。(たぶん山笠がなくなったら津屋崎の平均寿命が下がる 笑)

どこに本当の目的があるのか。

非常に説明は難しいですが、

無病息災を願うことも目的であるし、

人が集い一緒に作り上げる、そして達成することも目的です。

そして、これはとても「楽しい」ことでもあるわけです。

振興会の目的の一つでもありますが、「レクリエーション」にもなっているわけです。

なかなか思いつかんよ。この仕組は。

それがまた305年も続いとるわけですから。

山笠という形式でいえば、780年続いとるわけですから。

なんかあるんでしょうね。他との違いが。

人というものに合ってるんでしょうね。