津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

 

気がつけば、大晦日でした。

 

地域の神社で慌ただしくお蕎麦を振る舞っていると、

知らぬ間に年が明けておりました。

 

それくらいに本当は境目がない。

 

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なので、まだ2017年にピンときておりません。

 

2017年を噛みしめるために、

少し振り返ってみようと思います。

 

昨年は、「向き合う」ということに向き合った一年でした。

正確には、3分の2年くらいかな。

 

自分とも、人とも、やっている事とも。

 

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弱さと、在りたさと、源泉と。

 

蓋をしていた、あるいは端に避けていた、もしくは忘れていた、

それらに、

恒常的な心の豊かさと人生の明るさを感じさせる何かがある。

そのように強く思いました。

 

そして、何かに対する在りたさが、

世界の見え方を変えることも知りました。

 

また、大切さへの向き合い方が、

世界への向き合い方へ影響を与えることも知りました。 

 

そんな感覚を与えてもらった。大きすぎます。

 

何に感謝すればいいのかわからない。そんな感覚に陥ります。

実際は、「何もかもに」なのかもしれません。

 

振り返ると、そんなことを思う昨年でした。

 

振り返って、足元には、2017年

 

まずは、不可分さを感じる目の前の大切な「鏡」に、

「ありがとう」と、「今年もよろしくお願いね。」

を言いたいと思います。

 

P.S. 年賀状の準備が間に合いませんでした。

これから書きます。すみません。

岡ノ二公民館で合宿中です。

中学生たちが冬休みに入ったので、

合宿を行なっております。

 

目的は、チームビルディング。

 

最初は僕がプログラムを作っておりましたが、

中学生たちが「お客さん」になってしまうのでは?という不安から、

部長の牧薗と話し合い、彼らが作り上げる合宿という形をとりました。

 

プログラムもそうですし、必要なものや、僕の役割も彼らが決めます。

 

ちなみに僕の役割は、ファシリテーターの知らないおじさんです。

依頼されたこと以外はやりません。笑

 

彼ら、非常に楽しくやっております。

ぜひ応援しにきてあげてください。

 

会場は、岡の二公民館です。

 

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キャリア教育で先を行く、宮崎県立飯野高校へ行ってきました。

先週末(12月8日)、宮崎県えびの市にある飯野高校へいってきました。

 

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一般的な基準から飯野高校を説明すると、

偏差値は、40台(津屋崎のある第4学区だと玄界高校くらい)

各学年の定員は120名。

普通科(総合コース、探求コース)生活情報科の三つのコース。

いわゆる中山間地域に位置し、少子化の影響を受け、

しばらく定員割れが続いている。

経済的に切迫すれば統廃合の対象になりうる小規模校。

 

ですが、この高校、

そんな古い定規じゃ測れないほど、未来に開けた魅力があるんです。

 

今回は、津屋崎中学校の運営協議会という肩書きの元、

学校と地域との関わり方を模索するため、

その取り組みを見せてもらいに行ってきました。

 

さて、この学校、設立の時から一風変わっています。

もともと飯野に高校を設立する予定はなかったのですが、

地域からの要望もあり、

設立当時の町長が、「設立を受け入れてもらえないのであれば、鹿児島へ編入する(分県運動)」と県に働きかけ設立が実現したんです。すごいですよね、町長。

 

そんな経緯もあってか、地域との関わりの強い高校でした。

 

活動のなかで印象に残っていることが、三つ。

 

一つ目が、「地域探求活動」

高校生たちが、自分でテーマを設け、地域の課題解決を行います。

テーマは、

・地域医療の現状について

・温泉で地域を元気に!

・道の駅を起点とした地域活性化策について

環境保全からえびの市の未来を考える

など。

このプロジェクトを通して、大学生となった男の子に会いましたが、

口数が少ないなかでしっかりと自分の言葉で「えびのを愛してるんです」と言っていたのが印象的でした。

 

二つ目が、「地域貢献活動」

一年間通して、

毎週2時間、

幼稚園や小学校、介護施設などで長期実習を行います。

説明をしてくれていた先生たちが、説明資料の写真のなかにいる一人の生徒を指差して、

「彼はいわゆる勉強はできないんだけど、この活動の時は本当に活き活きしている、この活動を通して進路も見出せたようだ」と話されていました。

偏差値一辺倒にならず、一人一人の人生にコミットするってこういうことなんだと思います。

 

三つ目が、地域コミュニティ活動

・えびの産ヒノヒカリの生産

・学校給食の献立提供

・ファッションショー実施や地域イベンントへの参加

・幼児向け読み聞かせ

米粉を使用した特産品の開発

 

上記の活動を通して、地域の小中学校との関わりも深く(教えに行くとか、一緒にやるとか)、

ここ数年、飯野高校での活動をしたいがために、飯野高校を選ぶ子どもたちも出てきているようです。

 

ただ、僕が一番驚いたのは、「何をやっているか?」という上記の部分ではありませんでした。

 

驚いたのは、「どうやっているか?」

 

通常は、これだけのことを学校の中だけでなく、

外と関わりながらやろうとすると高校の先生があくせくして、

疲弊していくんだと思うんですね。

 

ですが、飯野高校では、このような活動の指導を、

「地域の人材に委ねている」のです。

 

 飯野高校に行くきっかけとなった梅北先生は、

しきりに「先生の負担を増やさないように工夫しないといけない」と、

地域の方を信頼し、生徒たちを預けておられました。

 

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高校生が、地域に関わること、

高校生が、自分で考えてプロジェクトを持つこと、

高校生を、地域の人材が育てること、

高校教師が、地域を信頼すること、

 

には、

 

高校生が、社会の中で役割を持つこと、

高校生が、勉強以外の軸を持つこと、

高校生が、教師以外の価値観に触れること、

高校教師が、勉学以外の生徒の輝きを知ること、

 

につながる可能性があって、

 

高校生が、経験から未来を考えられること、

高校生が、自分の「在りたさ」に目を向けられること、

高校生が、多様性を知ること、

高校教師が、生徒たちを心から信頼すること、

 

を実現すると思うんですね。

 

書いてはみたものの、補足が必要な気がしますが、

こんなことを感じた飯野高校視察でした。

 

校長先生はじめ、黒木先生、梅北先生、

丁寧な対応ありがとうございました。

 

文脈から外れてしまった飯野高校の魅力+α

・小中高一貫教育を掲げ、それぞれの教員が盛んにミーティングをされているそうです。

・高校生たちの活動成果を、地域に向け広く報告する「グローカル学習成果発表会」を催しています。

・公営塾「成銘館」があります。

 

 

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(ICTを活用した遠隔授業のモデル校となっています。)

それではなく、これだという言明について

対立的なそれと、

調和的なそれを、

比較して善を提示するとき、

それらがそれぞれ依存的関係にあることを忘れてはいけない。

 

それがあって、

これがあるのだ。

 

そして、

それではなく、これだと言う表現をするとき、

その言明の性質自体を顧慮しなくては、

その善は、浮いたものとなる。

 

 

 

部室三ヶ条

中学生たちが自分で企画して実行する

「学生企画実行部」

 

いろんな企画を準備して実行する中で、

必要な姿勢というのが見えてきました。

 

自分自身に対しても、

相手に対しても、

解決したい問題に対しても、

彼らが、それぞれ、彼ららしくあるために、

必要な姿勢だと思っています。

 

それを、部室のグランドルールとしました。

 

部室三ヶ条

・向き合う

・汲み取る

・寄り添う

 

問うことも、解くことも、

そのような姿勢で。

優しく手を添えながら歩んでいけたらいいなと思います。

 

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P.S.そろそろ来年度に向けて、もうひとり仲間(顧問)を募集します。

 

 

 

 

渋柿もらいました。

ある日、山へ竹切りに行く途中、民家の敷地の中で、

たわわに実った渋柿の木を見つけました。

 

 

気がつくと、

インターホンを押していました。

 

 

「すみません、渋柿、ください!」

 

 

僕は、名を名乗ることもなく、言い放ちました。

 

向こうからしたら、まさに、

 

君の名は。

 

状態だったことでしょう。

 

その場では、「干し柿作るのよー」ということで、もらえませんでした。。。涙

 

ですが、二週間後。

余った分は全部あげる、とのことで、結構いただけました。

 

インターホン、押してみるもんですね。 

 

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「変わる必要がある」について

社会や人類に向けて、

「変わる必要がある」と言ってる人によく出会う。

し、僕もそのように思っていた。

 

でも、

「変わる必要のあることなんて、そんなにないんじゃない?」

と、最近思う。

もう少し踏み込むと、

「変わることは解決策じゃないんじゃない?」

と思う。

 

変えようと提示する善は、悪があるからこそ善なんだと思う。

 

そして、その善が、悪がなくなったあと善である保証はどこにもない。

 

認識の向上の中で、増える区分。

それに伴って増える悪と認識されるもの。

 

たぶん、それはこれからも続いていく。

 

きっとそんななかで増えていく問題を解決するためには、

それはそれとして、これはこれとして、境目がないことを認める、

あるいは境目を消すことを意図することが、

必要になってくるんじゃないのかなと思う。

 

ソフィストがはびこり始める。

答えという言葉いつか消えてしまうような空気も感じています。