好き
今日は朝から百年読書講座でした。
今回から中学生も参加です。
課題図書は、スタートに戻ってショーペンハウアーの「読書について」
古い哲学書です。
彼らにとっては、始めて触れる哲学書。
内容を大人2人がまとめてきて、説明します。
節ごとに、感想や、どんなことが書かれていると思ったか、
彼らに尋ねました。
その感想を聞いた後に、僕が噛み砕いて説明をします。
この過程で、とても驚いたことがありました。
普段は多くを語らない、一人の女の子が、
内容を饒舌に語るのです。
あの難しいショーペンハウアーの文を語るのです。笑
もちろんまだ自分で読んできてまとめなさい!というのは、
させていないんですが、今日聞いて読んだ内容を語るのです。
彼女は、読書好き。
きっと好きだからだろうと思います。
「私たち中学生はこういういろんな本に触れる機会が少ないから、こういう機会がもっと欲しい」と、願望を聞いていないのに、願望を残していきました。笑
それ自体も意外。
素敵すぎる!
昨日、ふらんす屋さんで買ってきた、
チーズケーキをニヤニヤしながら食べられそうです。笑
20年後の絶対
僕「20年後はYさんと同い年かー、なにやってんだろうね」
「なにやってんでしょうねー、全然わかんないですねー」
僕「わかんないねー、でも絶対今とは違うことをしてると思うなー」
「あー、でも意外と絶対とは限らないかもですよ。意外と意外と」
と、その人は、僕の20年後の絶対をぼやかしてくれました。
「決めつけはいけないなー」というその人を前に、
たまに「絶対」を使いたくなってしまいます。
たまに決めつけて、なにが返ってくるのか試したくなってしまいます。笑
でもたまに同じ「ような」ことをされているような感覚もあるからイーブン。
「絶対」
- 他に比較するものや対立するものがないこと。また、そのさま。「―の真理」「―な(の)存在」「―君主」
- 他の何ものにも制約・制限されないこと。また、そのさま。「―な(の)権力」
という意味だそうです。
比較対立するものもなく、制約も制限もされない、
なんてことは「絶対」ありえないんだけど、
もし僕が「絶対」という言葉を使って、
誰かの拠り所になるんであれば、
うまいこと使っていきたいなーと思います。
あー、なんか、
思考を停止させてしまう「絶対」と、
誰かの思考を支えられるような「絶対」がありそう。
あー、これも「絶対」と対峙したからか。やられた。
手放す。
僕たちも手放すタイミングが来た。
そんな気がする。
最初に握りしめた、あのなんだかわからない答えらしきものを。
三年で一区切りなのかもね。
この最初の答えは、なにも見ぬまま産んだ答え。
手放すのも遅すぎたのかもしれない。
ただ、その答えにすがって、糧になったこともおおいにある。
「本当の夢は10年しないと生まれてこない」と近藤文夫さんに言われたけれど、
きっとそこに向かっているんだろうと思います。
先日、久しぶりに主催ではないプログラムに参加して、
半分スタッフとして動いた時に、
「普段、自分はやれることを全部やっていない。しかもいろんな機会を潰している。」ことに気がつきました。
まだ深く行ける、という感覚があります。
なんかいろんなヒトモノコトに感謝です。