津屋崎にいながら世界で働く旅
タイトルは、僕が4年前、
津屋崎ブランチのイベントに参加した際に、
考えた企画(旅)です。
「世界で働く」ということは、
一般的に以下のようなイメージがあります。
・海外の会社で働いている。
・日本と海外を行き来しながら働いている。
・日本で、海外から認められるような仕事をしている。
=すごい、かっこいい、高収入、遠い存在
ちょっとバカッぽいですが、そんなイメージがあると思います。
ここで、「世界」というワードは、
正確には「自分の生活する世界の外の世界」を意味しています。
そして、そのボーダーを越えられることに対して、尊敬とか憧れがあるわけです。
僕の企画した、旅に含まれる「世界で働く」は、このニュアンスとは異なります。
当時の僕は、イメージはできてもうまく表現できませんでした。
ですが、4年経って、やっとわかってきました。
当時の僕は、
地球という星の中で誰しも働いているのだから、
別に誰だって「世界で働いてる」わけだよね。と思っていました。
だから、本質的に考えて、「世界で働く」ことは、
空間的問題(国外にいる)でもなければ、
評価的問題(国外から評価される)でもないということに気がついていました。
ここから先の説明が、当時はうまくできなかったのです。
津屋崎でいながら世界で働くということは、
普遍的で不変的で本質的な営みを行うということ。
場所を変えようと、時代を変えようと、
変わらない構造的な仕事をするということです。
そして、旅、なので、その仕事を訪ねて廻るんです。
別に旅自体は、どうでもいいんですが、
津屋崎にいながら世界で働くということは、
形にしていきたいと思います。
一つのスタンスとして、
「生きるために営む」
ということが必要です。
このスタンスが、認識の範囲が一番広くなる。
そして、「生きるため」を充足する諸要素を正確に認識しながら、
それと生きることの重なる部分を営みにとして形にしていかないといけません。