津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

成果を数字にとらわれてる限り、ずっとそれに追いかけられる。

地方創生が始まって、地方が見直される速度が上がりました。

と同時に、日本全国均質化の速度も上がりました。

 

遅かれ早かれ、都会のパイを食い尽くした経済が、

地方へ広がるのは目に見えていたので、

それが早まったにすぎません。

 

地方にとってチャンスだなんだと、言っている輩は、

結局、地方と都会の役割分担を理解していないウスラトンカチです。

 

すべては、都会の論理。

 

この地方創生も、経済的指標によって評価されていくことになります。

 

どこも右肩上がり。どこまで上げればいいか、そして、あげたら何がいいのか、結局わからないまま、数字を増やそうとするでしょう。

 

いわゆる「成功」した地方は、数年後、ミーハー市民を多数抱えることになり、地域の良さがなくなったと、嘆くでしょう。

一方で、「相対的に」「失敗」した地方は、数字にとらわれ劣等感を抱き、やり場のない責任の所在を、政治になすりつけることでしょう。

成功でも失敗でもないのに、、、

 

どうして現代人は、あるがままの事実に満足することができないんでしょう。

 

もっと手放していかないと。

 

そもそも僕は「地域おこし」に価値を見出せません。

街が活気付いて、人口が増えて、税収も増えて、

それが、何にとっていいんでしょう?

 

住んでいる人?住んでいる人が誇りを持って不自由なく暮らせること?

じゃあ住んでいる人が、

誇りを持って不自由なく暮らせることに、

どれだけの価値があるんでしょうか?

その人が何の気なしに存続することで、未来にどんな影響を与えるのでしょうか?

 

何かを増やすとか、誰かを満足させることを、目的とした、

地域おこしは、本質を欠き、数字に追われ、持続することはありません。