何が関係していて、何が関係していないのか
現代は、とても繋がりを判断するのが難しい。
FBには、一度あったきりのほとんど知らない人でも、
「友達」としてアクセプトすれば、「友達」であり、
「つながり」ができる。
ツイッターや、インスタグラムに関しては、
アクセプトなしにでも、「つながり」ができる。
そんな「つながり」がはびこって、
ここ数年は、「つながり」があるように見せることが、
ビジネスの一つとなっているように思う。
基本的に誰かを叩かせる系の報道は、すべてそれにあたる。
時事問題で行けば、
アメフトである。
たかだか、知らない子供とおっさんの「悪質な反則」と「体育会系の亡霊」の話だ。
当事者間がやり取りすればいい話で、社会問題になるような質ではない。
犬が人に噛み付いたレベルであって、
人が犬に噛み付いたレベルではない。
だが、メディアが、「この悪質プレーと体育会系の亡霊は、あなたたちに関係あるんですよー」と言わんばりの報道をするので、
「つながり」を感じいろんな人が、
関係のない子供とおっさんに関する持論を述べている。
その正義自体が、いじめの範疇に入っていることにも気が付かず。
その是正活動は無力であるばかりか、「間違った人間」は無慈悲に叩きまくっていいという習慣を形成する、もしくは加担するということにも気が付かず。
何が関係していて、何が関係していないのか。
冷静に判断していきたいよね。
社会的な熱量の使い方って、子どもたちも感じ取るからね。
大人が大切なことを見失ってたら、そりゃー子どももわからんくなるて。
大人が何に反応するのかも、サイレントな教育の一つ。