「遅れている」ということについて
最近、ニコンが、
「in pursuit of light」というキャッチコピーで、
新製品のPRをしている。
ちょうど最近、頭の中に学術界への復帰が頭を巡っていたので、
思い出した本があった。
ビンフォードが書いた「in pursuit of the past」
たぶんプロセス考古学を知ろうとした時に、最初に読むであろう本だ。
1970年代、学術界の多くの分野でパラダイムシフトが起こっていたと思うが、
考古学も例外ではなく、大きなシフトが起きていた。
この本は、そのシフトのスタート地点である。
しかし、日本では、このシフトをまともに議論し始めたのは、
2000年代に入ってからである。
世界的に30年遅れているのだ。
当時は、遅れているという捉え方一辺倒だったと思うし、
実際に学術的に遅れている面は多い。
そもそも英語を読めない研究者が多いし、
それにともなってアウトプットも国内にとどまっている。
ただ、今は、遅れていると言われている30年で、
他に何を得られたのだろうかというところに目を向けることができる。
建設的な議論ができるだろうと思う。
ただ、学術界に戻ったとしても、土器を丁寧に精査するような類のバイタリティーはない。笑