津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

足すことよりも、引くことが必要なのではないか。

「私は〇〇をやりました!」「いいね!」

 

「私は〇〇をやります!」「いいね!」

 

「私はみんなとは違うこんないい考えた方してます!」「いいね!」

 

「これって今までにないイノベーティブなことだろ!」「いいね!」

 

「どんどん新しいことやってこ!」「いいね!」

 

「クリエイティブ、イェーイ!」「いいね!」

 

「スケジュール帳」が埋め尽くされていて何もできない状態になっていること、

その状態に自らなろうとしていること、

それによって「本当に新しいことをつくる」機会を失っていること、

に気が付かない。

 

それによって、5年先、10年先が見通せないことに気がついていない、

その状態が、グッドであるか、バッドであるか、以前にその天秤に乗せる余裕すらない。

 

個人であれば、それでいいとしましょう。

個人の問題なので。

 

しかし、地域ひいては社会ではやめてくれ。もう少し先と周りを見て考えろよ。

と思っています。

 

今、必要なことは新しいことではない。

「何をやらないか」決めることだ。

 

地域行事もそう、政治もそう。

 

それぞれ目的は一緒で、

何かやらないと評価されないし、「多い」方が評価される。

 

 

でもね。それって、埋め尽くされたあとに何がある?
埋め尽くしてどうなりたい?答え持ってる?

 

埋め尽くしたって、その先にあるのは新たな欲求だよね。

 

人類史ってそうだから。

 

その先にあるのは、何かをしてないと認められない社会だし、

何かできないと認められない社会なわけで、

すでに今はそうなってきてるよね。

 

今のうちに引けるものは引かないと。

 

詰めていたら感じられない。

自己の肯定的過程は、誰でもない時空間にしかないんだよね。

 

地域もそう、政治もそう。

 

引かないと。