津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

中高生対象 プロジェクト企画立案型の部活動開始のお知らせと部員募集

三粒の種を初めて三年。

ようやく仕事が落ち着いて来ました。

 

この三粒の種の中で、寺子屋(教育)を初めて2年半。

始めた頃から感じていたことで、

「僕たちの教えたいことは、習慣が大事だが、毎日子供達と接し、教えることはいろんな事情(他の習い事や経済的な理由など)で難しい」

というのがありました。

 

とはいえ、毎日来れるようなコンテンツを作ったとしても、

それで生き延びなくてはいけないという私たちの都合で、

誰でも参加できる価格ではなくなったりしていたわけです。

 

それじゃダメなんですよね。

 

必要性を感じた子が誰でも参加できるという環境が、

私たちが思う教育には必要だと思っています。

 

そこで、三粒の種の寺子屋事業との関連はありつつも、

別個の事業として、

「部活動」を始めることにいたしました。

 

中学校や高校の部活動のイメージ通り、

ほぼ毎日活動し、

チームで目指すものも設けています。

費用は、保険や活動の積み立て、消耗品費等の実費程度です。

学外の部活動ではありますが、学校で部活をするのと負担はあまり変わらないかと思います。

 

ということで、どんな部活動をするのか?

 

基本的には、私たちがやることなので、変わらず、

自ら考え、行動し、答えをつくっていくこと。

そして、未来を描きそれに向かっていく力を養うことを掲げます。

 

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プロジェクト企画立案型部活動 企画部(仮)

 

▫︎ 部活目的

  • 広い視野を持つ(一つの価値観や場所にとらわれない)
  • 問題発見と解決の方法を身につける(前に進める力を養う)
  • 能動的に関わる(自分から行動する)

上記3点を通して、自己実現力の向上を計ります。

 

イメージとしては、ボランティア部のような活動を、

よりポジティブにした感じでしょうか。

 

▫︎ 部活内容

・フィールドワーク(町歩きなど)を行い、問題を見つけ、プロジェクト化

実際に見聞きすることを通して問題を探し、問題の細分化、取り扱う部分の選定、方法の策定、スケジューリング、実施、検証を行います。この作業は、チームで行います。また、必要があれば他地域の活動を視察にいくことも行います。

 

・自分の夢や疑問を通して自分のプロジェクトを持つ

「将来どうなりたい」あるいは「社会はどうしてこうなんだ?」といったことを通して、自分だけのプロジェクトを持ち取り組みます。この作業は、自分で深めつつ、広く協力を求めながら行います。ライフワークを見つけたり、大学進学の理由、就職の理由を明確に持ってくれることを期待します。

 

・チームとして目標を持つ

ナレッジイノベーションアワードといった提案した企画が評価される大会へエントリーし、上位入賞を目指します。

 

プロジェクトの企画立案実施の補助作業

・問題解決のための指導

PDCAサイクルの習得、行動分析学、論理学といった分野の講義

 

・思考力を養う読書やディスカッション

深く物事を捉え考えるために課題図書の精読や、時事問題に関するディスカッションを行います。

 

▫︎ 活動日

毎週月曜日〜金曜日 17時〜19時ごろ 週4〜5日程度

(土日に活動を行う場合もあり)

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こんな子に来て欲しい!あるいはオススメ!

 

・何かに貢献するということを一生懸命考え、チームで頑張ってみたい子

・学校の勉強は苦手だけど、たくさんの疑問を持っている子

・いろんな活動に触れてみたい子

・学校の活動では物足りない子

・生徒会などの活動を通して、学校をよりよくしたいと目論んでいる子

・私たちとこれからずっと続くこの部活動を一緒に作ってくれる子

 

▫︎ 説明会のご案内

 

【開催日時】

・3月6日(日) 10:00-11:30 

・3月13日(日) 10:00-11:30

・3月27日(日) 14:00-15:30

※上記日程で参加できない方は個別に対応いたしますのでご相談ください

 

【会場】

寺子屋三粒の種 福津市津屋崎4-5-1 

※学舎前に駐車スペース有(8台)

 

【対象】

中学校 新1.2.3年生

高 校 新1.2.3年生

 

【参加費】

無料

 

【問合せ・申込み】

電話:0940-72-1204 

メール:info@san-tane.com

 

寺子屋三粒の種 説明会を開催いたします。

もう4年前になります。

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寺子屋三粒の種を作る前、

勉強を教えていた小学校5年生の女の子に、

「なぜそう思ったの?」と問うた時、

困って萎縮してしまう様子を目の当たりにしました。

 

「この答えは合っているんだけど、

どうやって考えてこうなったか知りたいんだ」

というと、答えてくれました。

 

授業を終えて、「どうしていつもはベラベラ喋るのに、「なぜ?」って聞いた時は、なんでだんまりなの?」と聞くと、

「えー、だってさー、学校で、なんで?って聞かれる時は、だいたい間違っとる時やーん。やけん、なんか怒られよるみたいやもん。」

 

「あーそうかー、まあそうだよね。」

 

このなんでもない会話に、

地域でフォローしなくてはならない教育上の問題を強く感じました。

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こんなきっかけで作った、寺子屋三粒の種。

 

用意された答えを上手に答えていくのではなく、

自分で考え、表現し、答えをつくっていく姿勢を大切にしています。

 

そんな寺子屋ですが、3期生の募集を開始いたしました。

 

そこで、そんな寺子屋の学びを体感いただける説明会を開催いたします。

寺子屋が目指す学びの形とは?」

「普段どのように学習しているのか?」

映像、写真を交えながら詳しくお話しいたします。

 

【開催日時】

・3月6日(日) 10:00-11:30 

・3月13日(日) 10:00-11:30

・3月27日(日) 14:00-15:30

※上記日程で参加できない方は個別に対応いたしますのでご相談ください

 

【対象】

小学校 新4〜6年生の親子

中学校 新1〜3年生の親子

 

【会場】

寺子屋三粒の種 福津市津屋崎4-5-1 

※学舎前に駐車スペース有(8台)

 

【参加費】

無料

 

【お申込み】

電話:0940-72-1204 

メール:info@san-tane.com

 

terakoya-tsuyazaki.hatenablog.jp

百年読書講座 vol.02 課題図書 シュベーグラー1848『西洋哲学史 上巻』

二回目の講座を実施しました。

今回の課題図書は、

シュベーグラー1848『西洋哲学史 上巻』23p〜248p

ソクラテス以前の哲学者からアリストテレスまでの範囲です。

200p強と長いだけあって、3時間かかりました。笑

 

本講座では、物事を論理的に捉えたり、組み立てたりする力を育むということを掲げています。

 

なので、まず論理的に構成されている課題図書を選ぶ必要があります。

また、それとは矛盾して、論理的な部分とそうでない部分含む図書を選び、それらを区別しながら要約をしてもらう必要もあります。

 

これらの点で言えば、この本はかなり有力です。

 

論理的な構成という点では、

1、万物の根源は水だと言ったタレースから始まり、アリストテレスまで、それぞれの哲学を説明してくれている。パーツ(一つ一つの哲学)それぞれが高品質。

2、時系列で並べられているから、誰がなんと言っていて、誰が誰の何を否定あるいは止揚させようとしたのか、つながり、文脈ができている。パーツの組み立てができている。

 

なので、素晴らしい思考に触れながら、それらの発展の過程あるいはそれらの相互関係を捉えていくことが出来ます。

 

論理的でない部分という点では、

1、筆者の意見が、突然入り込んでいることがある。

2、ギリシャ哲学者たちは、ある程度の抽象度を超えると、神や善に頼るため論理の飛躍が起こっている。

 

なので、捨象する部分、批判できる部分が適度にあるため、まとめる力がつく。

 

という感じで、かなり有意義な本だったと思います。

 

さて、この講座では、哲学書を主に扱っています。

ですが、誰が、どの本で、なんと言っているか、そんなことを教えているわけではありません。

タレースが、水だと言ったーとか、ヘラクレイトスが、万物流転だと言ったーとか、ソクラテスが、無知の知だと言ったーとか、

それらはほぼ無価値です。

 

誰がどう考えたかは重要ではありません。

ましてや、誰々さんがこう言っているから、こうやって考えよう!なんてことはありません。

 

重要なのは、自分がどのように考えられるか、です。

 

考えるための手段(道具)、過程(道具の使い方)としての哲学として、

哲学書を使っております。

 

自分の感覚、認識、思考を、分割(分類)して、深める方法、

その方法によって得られる洞察。

そしてその洞察による本質的な行動というのを狙っております。

 

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昔、学部生の無知は財産だけど、院生の無知は罪だ。

と言われたことがあります。

 

僕はこれは、大人と子供との関係でも当てはまると考えております。

 

いろんなことを知っていることは、学術分野の人たちの仕事だろ、

とおっしゃる方もいるかもしれません。

 

それは違います。

彼らの仕事は進めることです。物知りが仕事ではありません。

なので、その言説は、

自分が学習する意欲ない人間だと宣言しているに過ぎません。

 

私たち一般人は、無知にもほどがある。

これは世界のいろんなことを知らないとか、学校の問題が解けないとか、

そういうことではありません。それらはほぼ無価値です。

 

普段、自分が行っている言動や思考、それらについて無知なのです。

 

せめて、親になる人間は、

「自分になぜと問う習慣」を身につける必要があると思うし、その「なぜを解決する思考力」を求める必要があると思います。

 

なので、声を大にしていいたい。

 

子供の無知は財産、大人の無知は罪

 

といいつつも、無知であることが悪いとは、言い切れないのが、この世の中です。

好き嫌いもありますしね!

 

ただ、自分は無知だから学んでいく必要があるという認識は、持つべきだと思います。

つくしちょっと早い??

もう一週間前からでしょうか?

 

すでにつくしが生えてました。

 

と、思って昨年の記事を見てみると、特に早くありません。

 

昨年2月20日の記事↓ 

nobukicorner.hatenablog.jp

 

早いのは自分の感覚の話のようです。

 

年を取ってきたということでしょうか。笑

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マイナス金利と、腐る貨幣

一般的な経済には関心がないので、疎いのですが、

最近マイナス金利が騒がれておりますね。

 

思惑通りいってないとか。

株価が一気に下落したとか。

 

個人的には、そんな架空の価値が上がったり下がったり

していることに一喜一憂している姿を見て、情けなさを感じます。

 

さて、マイナス金利ですが、

デフレ脱却のための一手ですかね。

いろんな銀行は、日本銀行にお金を預けるわけですが、

そこの金利がマイナスだから、預ければ預けるほど、お金が減っていきますよ、

だからどんどん外に出していきましょう!

 

という効果を狙ったものだと理解しております。

 

細かいことは知りません。興味もありません。

効果のほどもどうでもいいです。

 

今回、このマイナス金利で思い出したことがあったので、

書こうと思います。

 

このマイナス金利、私が大学時代に、限定目的貨幣(通貨としての米)、一般目的貨幣(現金)の勉強をしている際に、

ちらっと読んだ、シルビオ・ゲゼルさんを彷彿とさせます

※彷彿とさせるもなにも、ゲゼルさんの考えを参考にしたものらしいです。笑

 

ゲゼルさんは、減価する貨幣と言う考え方がいいんじゃない、と言った人です。

どういうことかというと、

例えば、1000円持っていたとすると、一ヶ月後には1パーセント価値が減ってしまうという考え方です。つまり一ヶ月後には、10円減って990円になってしまうということ。

腐る貨幣ということですね。このような言葉で結構出回っているので、検索してみてください。

 

実際に、この腐る貨幣を導入した地域があります。

オーストリアのヴェルグルというところで、人口4000人強の町です。

1932年、失業率9%、負債1億3千万シリングという状況下で、

打った打開策が、腐る貨幣でした。

毎月持っているお金が減っていくので、どんどんお金を使いました。

どんどん回そうとしました。

その結果、たった一年で、完全雇用達成、負債の解消を果たしました。

 

1932年の話なので、現代と比較するといろんな条件が異なりますが、

腐る貨幣の成功事例です。

 

ですが、これは1年で終了。

オーストリア中央銀行から紙幣の発行独占を侵害されたとのことで、

裁判を起こされ負けちゃったのです。

 

ゲゼルさんは知っていたけど、この事例を知ったのは、ここ数年の話。

 

個人的に、腐る貨幣、僕はいいなーと思います。

 

僕は、特にこの「腐る」というのに惹かれます。

 

どんなものもエントロピーが増大していく感じ。

目に見えて無くなっていく感覚。

 

人類史的に見ても、長い間貨幣的役割を担ったお米などの穀物類も、

どれも腐るもの。

 

物々交換の前提には、

相互に「無くなる」という観念が必要だと思います。

 

その方が物事がうまく回る気がします。

百年読書講座 vol.02 課題図書 シュベーグラー1848『西洋哲学史 上巻』補足 ヘーゲル論理学の有論(存在論)について

2月28日(日)に開催予定の百年読書講座は、

シュベーグラーの西洋哲学史が課題図書です。

さくっといろんな種類の思考に触れられるので、

二冊目にこれを選びました。

 

範囲は、

ソクラテス以前の哲学者から、アリストテレスまでの、

基礎的部分です。

 

今回は、

受講生向けに、文中に登場する論理学用語を簡単に説明します。

 

シュベーグラーは、

西洋哲学史の進展を、ヘーゲルの論理学で捉えたり、説明したりする部分が、

多く見られます。

 

ここをある程度理解しておかないと、

構造的に理解できないので、補足します。

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登場する論理学用語は、ヘーゲル論理学の有論といわれるもの。

有ー無ー成、定有、向自有が主に登場します。

 

もし受講生がまじめなら、

「有」が、「存在」と表現される本もあるので、

それで戸惑ったはずです。笑

 

では、

有ー無ー成

から。

 

有:ただあるということ。存在。まだそれを規定する意味もなにもない状態。

無:ただないということ。有と無は同一とされる。

 

有には何の規定性もないから、有っても無いのと同じ。

また無は、どうように有るとも言える。

 

成:有と無を統一。有と無は、成を前提として、それを分解したもの。

 

結果的に、有、無、成は同じことを指すとも言えるが、

それはその説明だけでは誤りです。

つまり、有は成では無いし、無は成では無い。

「有は無、無もまた有」=成なのです。

 

ヘラクレイトスが、「流転」の概念をあげていますが、

これは成の典型的な説明です。物事はつねに移り変わるということです。

 

定有:規定された有。定在。「〜であって、〜でない」ということ。

有は、なにものでもありませんでしたが、定有は、なにものかがわかっていると言う状態です。

また、あらゆる規定は、否定である、ということを言っています。

 

向自有:それだけであるということ。向自在。何かによって規定されるのではなく、それだけでそれであるということ。例として、自我が挙げられる。

「我思うゆえに我あり」という文句を思い浮かべると理解しやすい。

 

とりあえず、これだけ説明しておきます。

 

ちなみに、ヘーゲルの論理学は面白いですが、

用語としてあまり使われている訳ではありません。

 

弁証法」なんかは生きてますが、

有論は、あまり見かけません、、、

おそらく有ー無ー成に少し問題があるとされているからだと思いますが、

講座はそういうことを教えるところでは無いので、省きます。

 

ただ、認識上の諸段階を、こうやって分解していったあたりは天才的だし、

見えるものを観念的に分解して個別に検討するような見方は、

この課題図書を読んで得られることよりも、

大事な視点のように思います。

 

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ニーズと、軸の提示について。

私は、自分で仕事を作っています。

 

人類の営みに必要だと思うことを仕事にしています。

 

現前する社会にとって必要なことではあるけれど、

現前する社会のためではありません。

 

どの時代であろうと、そこに人間同士の組織だったコミュケーションが存在するなら

必要なことを、仕事にするようにしています。

 

だから、一般的なビジネス上の用語としてのニーズというのは、勘案していません。

 

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普通は、困っていることや欲していることを捉え、

そのニーズを持っている人は、

何を考えているか、

何を見ているか、

何を聞いているか、

どんな言動をとっているか、

どんな障害に苛まれているか、

得られるもの得たいものはなんなのか、

 

ということを考えながら、提案する価値を形にしていきます。

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そして、価値提案を形成し、どのような関係性の元、どうやってその人たちに届けるのか、さらには、リソースやコスト構造を考えていきます。

 

私は、通常最も大事だと思われている、

上記点線内のニーズに関わることは、

仕事を作る時に、一切しておりません。

 

これに関して、

なぜか、ということと、

じゃあ、どうやって作っているのか、ということを書こうと思います。

 

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なぜかというと、

ニーズから出発すると、現代に囚われてしまうからです。

 

現代にマッチしたものを作っても、

次の時代にそれはマッチしません。

 

だから結局、

新商品開発のような行為を、時代が変わるたびに、

永遠に続けないといけなくなります。

 

さらに、そのことで盲目になり、先が見通せなくなります。

結果、現代のような、地球が一年で産出できるエネルギーを、

8月半ばに使いきってしまうような状況となってしまいます。

 

だから、ニーズからは出発しません。

 

もちろん、ニーズから出発して、

永遠に残るような仕事を作れる人もいます。

 

でもそれは一部の天才だけです。

 

私は、その天才を誰だか知りませんが、

大工を最初に始めた人、農業を最初に始めた人etcだと思っています。笑

 

たぶんこういった類の天才は、

ここ1500年くらいは出てないんじゃないかなーと思います。

 

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じゃあ、どうやって仕事を作っているのか?

 

私のやっている三粒の種には、ミッションがあり、

やるべき方向性というのを定めていますが、それは置いといて、

 

私たちは「どうあるべきか?」から出発します。

 

ただ、ここから出発する方というのは、少なくないと思います。

 

私が他の人と異なる点を挙げるとすれば、

過去から未来を見ようとしている点です。

 

私がもともと考古学をやっていたということもあり、

そのような見地から、「どこへ向かうべきか」という観点の元、

じゃあ今「どうあるべきか?」と考え、仕事を作っています。

 

なので、誰かが欲しているからとか、

誰かが困っているからとか、そういう話ではないのです。

今社会がこうだから、こうがいいというのとも違います。

 

過去から現在にかけて見える軸とその延長の捉え方の話で、

私たちはこの軸はこっちの方に伸びてくのがいいんじゃない??

という作業を行っています。

 

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私たちの作業が絶対的に正しいかどうかはわかりません。

 

ただ現在は、不足を増幅するポジティブフィードバックの中にあります。

それをどう捉えるか。

 

私の考えは幾分かはましだと考えております。