津屋崎・毎日の大切なこと

津屋崎で日々暮らすなかで、耳にし、目にし、口にする、いろんなモノゴトを、自分の軸を持って綴ります。

私たちは悩む。

彼らにどのように育って欲しいのか。

それを達成するために何をすればいいのか。

 

私たちは悩む。

 

なぜ、放っておくのではいけないのか。

 

生きていけないから?

 

なぜ生きていけないのか。

 

放っておいて、あるがままに成長して、

なぜ生きていけないのか。

 

私たちは悩む。

 

どこへ向かわせようとしているのか。

どこへ向かっているかもわからないまま、

どこかへ向かわせるために。

 

私たちは悩む。

今年も、山笠が終わりました。

今年の津屋崎祇園山笠がおわった。
 
土曜日は、裸参り。
日曜日は、追い山。
 
自分との戦い。
新町、北との戦い。
 
僕は土曜日のお昼に、
辛めのインドカレーを食べたおかげで、
腹痛との戦いだった。
 
そう、ここにはそれぞれの戦いがある。
 
ふざけたことだけを言っていると、
怒られるかもしれないので、
事務局長としてバランスを取ろうと思う。
市に提出している今年の実施計画書は、
大きく未来へと舵を切っている。
西野正信保存会会長の意志だ。
若輩ながらその作成に携わらせていただけていることは、
僕の誇りの一つだ。
その舵切りには、保存から、振興へという思いと、
それと同じくらい「地域」の取り戻しというのがあると思っている。
今まで以上に、子供たちとの関わり、地域住民との関わりが、
大事にされているからだ。うん。
徹頭徹尾、山笠という所作は、未来のためである。
大きくも小さくも未来のためである。
この我々の所作は、子供達に何を残せるだろうか。
おじさんたちの楽しみであると同時に、
彼らの未来を照らす所作を残せるだろうか。
この悩むほどでもないと同時に、
悩まないといけない悩み事を抱え、
5年後に来る復活50周年、
そしてその先の開始400年に向けて、
できることをやっていこうと思う。

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「大人である」ということについて

生物として、

他者から得ることでしか、

自己再生産できないという定言的な前提の中で、

それとは逆の方向の行為を、

当たり前のごとく行うのが、

大人なのだと思う。

 

誰かから何かを得るのではなく、

贈与的な主体として、

寛容で、寛大で。

 

大人であるということは、とても力がいるし、

疲れることなのだと思う。

 

そして、大人になるということは、

決してなくって、

大人であろうとする力が、だんだんと付いてくるのだと思う。

 

大人力というのは、持久走みたいなもので、

頑張っていれば、持久力はつく。

 

でも、結局、疲れてくるのである。

 

 

疲れてくると、その回復行動として、

子供のように我儘に振る舞うという、

生物本来の行動が、表面化するのだと思う。

 

昔は、それが、家族や友との間で行われていたのだと思うけど、

今は、ネット上で行われている。

 

だから、昨今は、ネットに関わるものの多くが、

社会的に幼稚なのである。

 

ネット上では基本的に自由なので、そうなってしまうのは仕方がない。

そもそも、大人であるということ自体にパワーがいることなので、

仕事や家族を離れた、ネット上でそれを求めるのは、無理があるのかもしれない。

 

ただ、面倒臭いのが、

ネット上に社会が持ち込まれてしまったところにある。

 

ネット上での幼稚さが、

実社会に影響を与えているのだ。

 

ネット上の無関心を推し進めないと、

表現の自由も、存在の自由も、

どんどん、どんどん、小さくなってしまう。

津屋崎中学校区(旧津屋崎町)のみなさんへお願い! 【補充学習サポート】

【津屋崎中学校に親近感を抱いてくださっているみなさまへ】
 
津屋崎中学校区(旧津屋崎町)にお住いの大人のみなさんに、
少しばかしお願いがあります。
 
数年前から、
津屋崎中学校の運営協議会をさせていただいているのですが、
学校教育には、問題が山積みです。
 
もちろんそこにはいろんな個別の問題があるんですが、
一番の問題は、
というか、まずなんとかしないといけないことは、
「学校の先生に時間がないことだ」
というのがわかってきました。
 
学校には、
背負わなくていい責任と、
やる必要のない役割が、
いつのまにか当たり前に組み込まれています。
 
なので、何をするにしても、
何かに追われていたり、気にしないと行けないことが多すぎたり、
しています。
 
ということで、
学校からの協力依頼は、
少しお節介かな、くらいで引き受けて、
できる限り先生の時間に余裕ができるようにしていきたいなーと、
行動しているところです。
 
それで、直近で、協力依頼があったので、
津屋崎地区の皆さんにもお願いです。
 
今回のお手伝い依頼は、期末考査に向けた補充学習のサポートです。

勉強があまり得意ではない生徒の勉強を見てあげるという内容になります。 

 

数学でいくと、

1年生 正の数 負の数

2年生 文字式の利用

3年生 平方根

という感じのレベルです。

教える内容は、80点を100点に持っていくというよりも、

30点を平均点に持っていくレベルの内容になりますので、

あまり敬遠せず、気軽にお手伝いに来ていただけたらなと思います。

 

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1.期 日   6月 11日(月) 14:00~15:50

        6月 12日(火) 14:00~15:50

 部分的にでも参加できる方は、ご協力いただけると助かります。

 

2.場 所    福津市立津屋崎中学校

         福津市津屋崎1丁目5番16号 

 

3.対 象   津屋崎中学校の生徒

 

4.内 容

 期末考査に向けた各教科の学習指導

 

5.参加の連絡

ボランティアをお願いできる方は、下記までご連絡ください。

 

また、「勉強は見られる自信はないけど、何かあれば声かけて!」

「今回は行けないけど、いつでも声かけて!」という方も

ご連絡いただけると嬉しいです!

 

担当:角 信喜(津中運営協議会) 

LINE:nobuki.kado
mail:   nobuki.corner@gmail.com
FB:角信喜で検索
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学校の先生が、
のびのびと教育できる地域にして行けたらいいですよねー!
でも、先生って、3年とかで入れ替わっちゃうから、
本当は地域って、とても大事。
ということで、みなさん、子供たちに時間を!
 
 

何が関係していて、何が関係していないのか

現代は、とても繋がりを判断するのが難しい。

 

FBには、一度あったきりのほとんど知らない人でも、

「友達」としてアクセプトすれば、「友達」であり、

「つながり」ができる。

 

ツイッターや、インスタグラムに関しては、

アクセプトなしにでも、「つながり」ができる。

 

そんな「つながり」がはびこって、

ここ数年は、「つながり」があるように見せることが、

ビジネスの一つとなっているように思う。

基本的に誰かを叩かせる系の報道は、すべてそれにあたる。

 

時事問題で行けば、

アメフトである。

 

たかだか、知らない子供とおっさんの「悪質な反則」と「体育会系の亡霊」の話だ。

 

当事者間がやり取りすればいい話で、社会問題になるような質ではない。

 

犬が人に噛み付いたレベルであって、

人が犬に噛み付いたレベルではない。

 

だが、メディアが、「この悪質プレーと体育会系の亡霊は、あなたたちに関係あるんですよー」と言わんばりの報道をするので、

「つながり」を感じいろんな人が、

関係のない子供とおっさんに関する持論を述べている。

その正義自体が、いじめの範疇に入っていることにも気が付かず。

その是正活動は無力であるばかりか、「間違った人間」は無慈悲に叩きまくっていいという習慣を形成する、もしくは加担するということにも気が付かず。

 

 

何が関係していて、何が関係していないのか。

冷静に判断していきたいよね。

 

社会的な熱量の使い方って、子どもたちも感じ取るからね。

大人が大切なことを見失ってたら、そりゃー子どももわからんくなるて。

 

大人が何に反応するのかも、サイレントな教育の一つ。

見ているものの表現について

見ているものを、そのものとして表現しようとした時に、

 

それに関して、「ではない」を無限に羅列することによって、

その具体性というのは増して行くが、

その表現の中に、それ自体はない。

 

確実に、

それがある表現というのは、

単純な一言で表されるが、

そこには、それが何と違うのかが含まれていない。

 

なので、

それ自体を表現しようとしたときに、細く小さくなっていく。

 

他人を正確にとらえようとすればするほど、

その人のその人たらしめる部分というのは、細く小さくなっていく。

 

ジャコメッティがやりたかったことって、

そういうことなんだと思う。

 

This is nobuki speaking.